この記事を多くの人に読んでもらいたい!!そう思ったら『人気ブログランキング』押してください
父よ、あなたは卑怯者だ!! ― 2010年03月09日 23時21分14秒
鳩山総理は、父親にこのように言葉を叩きつけるのだろうか。
<日米密約>暴かれた国のうそ 歴代外相、弁明に終始
3月9日21時50分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100309-00000141-mai-soci
いわゆる、核密約問題。
まあ「公然の秘密」というか、最初から「密約が無かった」と本当に信じている人は、ただの馬鹿なのでどうでもいいが、問題はマスコミや民主党側の論調。
>岡田克也外相は会見し「(自民党政権が)事実でないことを述べてきたのは非常に残念」と述べた。「密約はない」と言ってきた歴代外相らは、報告書をどう受け止めたのか。
ということだが、この場合、まず最初に鳩山総理が国民に謝罪しなければならないだろう。
なぜなら、昭和 51年12月24日より約1年間、鳩山総理の父親鳩山威一郎氏自身が外務大臣として活動していたのだから。
当然、彼も渦中の人として密約に関与していた事は間違いない。
鳩山威一郎氏「のみ」を飛ばして密約を申し送るようなことなど、常識的にありえない。
それとも、まさか、このように主張する気なのだろうか?
記者連中も、鳩山総理自身に「父親の関与についてどう思うか」とはっきり聞いてみるべきだろう。
総理は、『自分自身の父親が率先して国民を欺いていたこと』をどのように説明するのだろうか、非常に興味があるところだ。母親はお金をくれる人だから良い人、父親は国民を欺いた人だから悪い人。というように区別でもするのだろうか。
また、鳩山威一郎元外務大臣だけの話ではない。仮に総理および外務大臣しか知らない事項だったとしても、当然、歴代総理の細川護煕氏、羽田孜氏、村山富一氏らも、この密約に関してはそれぞれの在任当時この密約事項に関与していたことは明らかだろう。
ならば、彼らが当時黙認し、さらに今まで黙っていた行為について、今の政府は非難しないのだろうか。
特に社民党の福島みずほ党首は、初代党首でもある村山富一元総理の元、旧社会党当時に行なっていたこの欺瞞行為を自ら正して説明すべきだろう。
(「村山総理だけが関与して、旧社会党(社民党)は関与していなかった」などという理屈は成り立つわけがない。
ならば、自民党だけでなく「知っていた」社民党自身もまた秘匿していた事になる。「自分達も」口をつぐんでいたのに、今回の事を「他人の悪事」のように主張するのは、いかがなものだろうか。)
岡田外相を含め、この核密約において、自民批判・時の政府批判を安易に行なっているが、この事は「自分達の関係者」も閣僚経験者であるという事を、どうも忘れているとしか思えない。
----
また『外務大臣・時の政府として』この行動には問題があるとも思う。
今回の行動、この密約・隠蔽行為を明らかにすることで、国家として外交上、内政上どのような利益が日本にはあるのだろうか。
少なくとも、単に「暴いたからいい」というだけの話ではなく、政府・大臣である以上、この公開によってどのような今後の国家戦略を考えているのか、説明する責任がある。
もし、その説明がなされなければ、はっきりいって国家としての利益を守る(国民の権利を守る)という観点が無い単なるパフォーマンスでしかないのではないだろうかと勘ぐられても仕方が無いだろう。
----
歴代最低の無能政府だとは思うが、少なくとも「政府として」国家戦略上考えるところがあって、行なったと思いたいが、どうなることか、この後の政府説明を期待したいところだ。
(……本心では、まず不可能だと思っていても)
<日米密約>暴かれた国のうそ 歴代外相、弁明に終始
3月9日21時50分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100309-00000141-mai-soci
いわゆる、核密約問題。
まあ「公然の秘密」というか、最初から「密約が無かった」と本当に信じている人は、ただの馬鹿なのでどうでもいいが、問題はマスコミや民主党側の論調。
>岡田克也外相は会見し「(自民党政権が)事実でないことを述べてきたのは非常に残念」と述べた。「密約はない」と言ってきた歴代外相らは、報告書をどう受け止めたのか。
ということだが、この場合、まず最初に鳩山総理が国民に謝罪しなければならないだろう。
なぜなら、昭和 51年12月24日より約1年間、鳩山総理の父親鳩山威一郎氏自身が外務大臣として活動していたのだから。
当然、彼も渦中の人として密約に関与していた事は間違いない。
鳩山威一郎氏「のみ」を飛ばして密約を申し送るようなことなど、常識的にありえない。
それとも、まさか、このように主張する気なのだろうか?
記者連中も、鳩山総理自身に「父親の関与についてどう思うか」とはっきり聞いてみるべきだろう。
総理は、『自分自身の父親が率先して国民を欺いていたこと』をどのように説明するのだろうか、非常に興味があるところだ。母親はお金をくれる人だから良い人、父親は国民を欺いた人だから悪い人。というように区別でもするのだろうか。
また、鳩山威一郎元外務大臣だけの話ではない。仮に総理および外務大臣しか知らない事項だったとしても、当然、歴代総理の細川護煕氏、羽田孜氏、村山富一氏らも、この密約に関してはそれぞれの在任当時この密約事項に関与していたことは明らかだろう。
ならば、彼らが当時黙認し、さらに今まで黙っていた行為について、今の政府は非難しないのだろうか。
特に社民党の福島みずほ党首は、初代党首でもある村山富一元総理の元、旧社会党当時に行なっていたこの欺瞞行為を自ら正して説明すべきだろう。
(「村山総理だけが関与して、旧社会党(社民党)は関与していなかった」などという理屈は成り立つわけがない。
ならば、自民党だけでなく「知っていた」社民党自身もまた秘匿していた事になる。「自分達も」口をつぐんでいたのに、今回の事を「他人の悪事」のように主張するのは、いかがなものだろうか。)
岡田外相を含め、この核密約において、自民批判・時の政府批判を安易に行なっているが、この事は「自分達の関係者」も閣僚経験者であるという事を、どうも忘れているとしか思えない。
----
また『外務大臣・時の政府として』この行動には問題があるとも思う。
今回の行動、この密約・隠蔽行為を明らかにすることで、国家として外交上、内政上どのような利益が日本にはあるのだろうか。
少なくとも、単に「暴いたからいい」というだけの話ではなく、政府・大臣である以上、この公開によってどのような今後の国家戦略を考えているのか、説明する責任がある。
もし、その説明がなされなければ、はっきりいって国家としての利益を守る(国民の権利を守る)という観点が無い単なるパフォーマンスでしかないのではないだろうかと勘ぐられても仕方が無いだろう。
----
歴代最低の無能政府だとは思うが、少なくとも「政府として」国家戦略上考えるところがあって、行なったと思いたいが、どうなることか、この後の政府説明を期待したいところだ。
(……本心では、まず不可能だと思っていても)
石原慎太郎曰く「私の作品は、映像にすると低俗で子供達に害を与える作品です」 ― 2010年03月16日 23時24分26秒
漫画などの児童ポルノ規制 東京都、条例改正案を説明
2010/03/13 10:42
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/368117/
東京都の2次元児童ポルノ規制、ちばてつやらが反対の記者会見
2010/03/15 07:43
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/368724/
IT Media
漫画・アニメの「非実在青少年」も対象に 東京都の青少年育成条例改正案 (1/2)
2010年03月09日 21時57分 更新
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/09/news103.html
----
石原慎太郎東京都知事は、自分が芥川賞を取った作品すら「映像化しちゃいけない問題作品」と自己否定をされたいようだ。
今回の改正案は
「18歳未満として表現されていると認識されるもの(「非実在青少年」)を相手方とする又は非実在青少年による性交又は性交類似行為に関わる非実在青少年の姿態を視覚による認識する事ができる方法でみだらに描写する事により、青少年の性に関する健全な判断能力の成長を阻害するおそれがあるもの」とのことだが、
簡単にいえば、「18歳未満の空想上の人間が、視覚(映像)で、性交または類似行為をする姿を描写するのは、青少年の性に関する健全な判断能力の成長を阻害する」という理屈だ。(「簡単じゃなかった」かもしれないwww)
さて、これがどうして「自己否定に繋がる」のか。
それは石原慎太郎氏の代表作「太陽の季節」にある。
あらすじ(wikipediaより)
『高校生・津川竜哉はボクシングに熱中しながら仲間と酒・バクチ・女・喧嘩の自堕落な生活をしている。ある夜盛り場で知り合った少女英子と肉体関係を結び、英子は次第に竜哉に惹かれていくが、竜哉は英子に付き纏われるのに嫌気がさし、英子に関心を示した兄道久に彼女を5千円で売りつける。それを知った英子は怒って道久に金を送り付け、3人の間で金の遣り取り(契約)が繰り返される。ところが英子が竜哉の子を身籠ったことがわかり、英子は妊娠中絶手術を受ける。手術は失敗し英子は腹膜炎を併発し死に、葬式で竜哉は英子の自分に対する命懸けの復讐を感じ、遺影に香炉を投げつけ、初めて涙を見せた。』
どう読んでも主人公は「18歳未満」
はっきりいって「非倫理的」といわれても仕方がない作品です。
(というか、実際「言われている」事の方が多いが)
では、この作品は規制条例でどうなるだろうか?
『小説だから視覚表現は無い。だから大丈夫』
確かにその通り。
だが、これはもう一つの事実を突きつける事になる。
『太陽の季節を「原作どおり映像化」することは絶対に許されない』
『映像化するには、非倫理的な作品』
という事実だ。
(18歳未満の男子が女性とヤリまくって、最後には兄に5千円で売りつけるなんて、どこをどうすれば倫理的といえるのだろうか)
自分が作家として、この作品を含めその他多くの作品で「倫理」の一言で苦しめられていたのに、なぜ今回「表現規制」自体を容認しようとしているのだろうか。
はっきりいって、自分の過去がわからない、認知症にでもなってしまったのだろうか。
他の作家・漫画家達が、なぜ反対しているのか「太陽の季節」を書いた『作家石原慎太郎』はどう思っているのか、そこが一番聞いてみたいところだ。
----
なお、私自身の表現規制の基本的な考え方は(児童ポルノに限らず)、
原則「表現する事」自体を規制するのは間違っている。
「受ける側が、容易に選別できるように」すべきだ、です。
つまり
「表現を発信する自由」は最大限認めるべき、
同等に
「表現を受信しない自由」も最大限行使できるように認めるべし。
というように
『表現に対する表裏の関係』であり、同様に保障されるべきだ、という考え方です。
なので「受信しないようにする(できる)」努力・規制は、ある程度あってもいいと思います。
ですが、「空想上の話でも、表現する事自体」に問題があるという認識で発せられている今回の規制は、根本的な部分で問題があると思いますので、全面的に反対します。
細かい考えなどは、自記事の本文とコメント等を読めば参考になると思います。
自記事
小便小僧を破壊しよう!! ― 2009年06月30日 02時30分56秒
http://kusuriyasan.asablo.jp/blog/2009/06/30/4402636#c4949567
----
誰か、本気で「太陽の季節」を漫画化・映像化してみる人、いないかなぁ?
これを東京で流せるかどうか、本当に問いただしてみたら面白いのに。
と書いたら、まとめサイト「非実在青少年」規制問題・対策まとめで、すでに質問した人がいたとの情報が得られた。
http://hijituzai.ehoh.net/
が、内容を読む限り
>質問:「『太陽の季節』や『ラ・マン』は?あれはいいんですか?」
>回答:「いいんです」
と、どうも「日活版(または最近のドラマ版)」など『既存の映像作品』だけの話として終わっていると思う。
『原作どおりに、映像化した場合でも許可できるのか?』と聞くべきだったんではないだろうか。
というか、誰か夏コミにでも「太陽の季節」を元にした同人誌作ってくれ。
頼む。
---
その他参考サイト
とある非実在青少年が性行為を行う小説
―空気を読まない中杜カズサ―
http://d.hatena.ne.jp/nakakzs/20100228/1267311270
2010/03/13 10:42
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/368117/
東京都の2次元児童ポルノ規制、ちばてつやらが反対の記者会見
2010/03/15 07:43
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/368724/
IT Media
漫画・アニメの「非実在青少年」も対象に 東京都の青少年育成条例改正案 (1/2)
2010年03月09日 21時57分 更新
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/09/news103.html
----
石原慎太郎東京都知事は、自分が芥川賞を取った作品すら「映像化しちゃいけない問題作品」と自己否定をされたいようだ。
今回の改正案は
「18歳未満として表現されていると認識されるもの(「非実在青少年」)を相手方とする又は非実在青少年による性交又は性交類似行為に関わる非実在青少年の姿態を視覚による認識する事ができる方法でみだらに描写する事により、青少年の性に関する健全な判断能力の成長を阻害するおそれがあるもの」とのことだが、
簡単にいえば、「18歳未満の空想上の人間が、視覚(映像)で、性交または類似行為をする姿を描写するのは、青少年の性に関する健全な判断能力の成長を阻害する」という理屈だ。(「簡単じゃなかった」かもしれないwww)
さて、これがどうして「自己否定に繋がる」のか。
それは石原慎太郎氏の代表作「太陽の季節」にある。
あらすじ(wikipediaより)
『高校生・津川竜哉はボクシングに熱中しながら仲間と酒・バクチ・女・喧嘩の自堕落な生活をしている。ある夜盛り場で知り合った少女英子と肉体関係を結び、英子は次第に竜哉に惹かれていくが、竜哉は英子に付き纏われるのに嫌気がさし、英子に関心を示した兄道久に彼女を5千円で売りつける。それを知った英子は怒って道久に金を送り付け、3人の間で金の遣り取り(契約)が繰り返される。ところが英子が竜哉の子を身籠ったことがわかり、英子は妊娠中絶手術を受ける。手術は失敗し英子は腹膜炎を併発し死に、葬式で竜哉は英子の自分に対する命懸けの復讐を感じ、遺影に香炉を投げつけ、初めて涙を見せた。』
どう読んでも主人公は「18歳未満」
はっきりいって「非倫理的」といわれても仕方がない作品です。
(というか、実際「言われている」事の方が多いが)
では、この作品は規制条例でどうなるだろうか?
『小説だから視覚表現は無い。だから大丈夫』
確かにその通り。
だが、これはもう一つの事実を突きつける事になる。
『太陽の季節を「原作どおり映像化」することは絶対に許されない』
『映像化するには、非倫理的な作品』
という事実だ。
(18歳未満の男子が女性とヤリまくって、最後には兄に5千円で売りつけるなんて、どこをどうすれば倫理的といえるのだろうか)
自分が作家として、この作品を含めその他多くの作品で「倫理」の一言で苦しめられていたのに、なぜ今回「表現規制」自体を容認しようとしているのだろうか。
はっきりいって、自分の過去がわからない、認知症にでもなってしまったのだろうか。
他の作家・漫画家達が、なぜ反対しているのか「太陽の季節」を書いた『作家石原慎太郎』はどう思っているのか、そこが一番聞いてみたいところだ。
----
なお、私自身の表現規制の基本的な考え方は(児童ポルノに限らず)、
原則「表現する事」自体を規制するのは間違っている。
「受ける側が、容易に選別できるように」すべきだ、です。
つまり
「表現を発信する自由」は最大限認めるべき、
同等に
「表現を受信しない自由」も最大限行使できるように認めるべし。
というように
『表現に対する表裏の関係』であり、同様に保障されるべきだ、という考え方です。
なので「受信しないようにする(できる)」努力・規制は、ある程度あってもいいと思います。
ですが、「空想上の話でも、表現する事自体」に問題があるという認識で発せられている今回の規制は、根本的な部分で問題があると思いますので、全面的に反対します。
細かい考えなどは、自記事の本文とコメント等を読めば参考になると思います。
自記事
小便小僧を破壊しよう!! ― 2009年06月30日 02時30分56秒
http://kusuriyasan.asablo.jp/blog/2009/06/30/4402636#c4949567
----
誰か、本気で「太陽の季節」を漫画化・映像化してみる人、いないかなぁ?
これを東京で流せるかどうか、本当に問いただしてみたら面白いのに。
と書いたら、まとめサイト「非実在青少年」規制問題・対策まとめで、すでに質問した人がいたとの情報が得られた。
http://hijituzai.ehoh.net/
が、内容を読む限り
>質問:「『太陽の季節』や『ラ・マン』は?あれはいいんですか?」
>回答:「いいんです」
と、どうも「日活版(または最近のドラマ版)」など『既存の映像作品』だけの話として終わっていると思う。
『原作どおりに、映像化した場合でも許可できるのか?』と聞くべきだったんではないだろうか。
というか、誰か夏コミにでも「太陽の季節」を元にした同人誌作ってくれ。
頼む。
---
その他参考サイト
とある非実在青少年が性行為を行う小説
―空気を読まない中杜カズサ―
http://d.hatena.ne.jp/nakakzs/20100228/1267311270
沢尻エリカは間違っているのか? ― 2010年03月17日 00時29分04秒
「皆さんのおかげ」でも、誓約書は「撤回しない」 エリカさま会見
3月16日16時18分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100316-00000544-san-bus_all
さて、ネットやマスコミでは色々と叩かれているが、私からしたら「なぜ叩かれるのか」が解らない。(まあ、態度とかに問題があるというのは解らないでもないが)
まず、マスコミに求めた6箇条の誓約書を見てみよう。
★マスコミに求めた6箇条の誓約書(要旨)
1.情報や声明は正確に伝える。わい曲や誤解を招くことを避ける
2.情報を公開する前にその信ぴょう性を十分確認し、根拠のないうわさ話は公開しない
3.一方的か屈辱的な表現や侮蔑表現を使わず、名誉棄損するようなコメントはしない
4.私生活やプライバシーにかかわる情報は許可なく公開しない
5.不正確、有害な情報を公開したら訂正する
6.私生活などを撮影した映像、画像は許可なく公開しない
これにマスコミや馬鹿なネット住人は猛反対している。
「なぜ誓う必要があるのか」「なぜ破ったからといって訴えられなくてはいけないのか」
「取材に注文をつけるとは何様のつもりだ」などなど。
だが、ちょっと待ってほしい。
内容に、何か問題があるだろうか?
何か、人として要求してはいけないような事が書かれているのだろうか?
マスコミ(報道・取材する側)としては、守る事ができない・無視していい内容なのだろうか?
1.情報や声明は正確に伝える。歪曲や誤解を招かないようにする。
これは、否定されるべき事なのか?
マスコミは、誓ってはいけない事なのか?
2.情報を公開する前にその信ぴょう性を十分確認し、根拠のないうわさ話は公開しない
記事にする前に、ちゃんと確かめる。根拠を抑える。
報道するものとしては当たり前の事じゃないのか?
----
以下、同じ事の繰り返しなので省略するが、「沢尻エリカ」の要求は明らかに『報道に携わる者』として『守らなければいけない事』しか書かれていない。
それが、例え屑のパパラッチ集団であっても、本来『守るべき事』しか書かれていない。
別に沢尻が言わなくても、これは必ず守らなくてはならないことのはずだ。
にも関わらず、マスコミの多くは「なぜ誓わなければいけないのか」と文句を言う。さらに、他の芸能人も「そんな要求をするのは間違っている」とのたまう。おまけに、国民の中にも「そんな事を誓わせるのはオカシイ」という始末。
じゃあ全員、マスコミが上の6箇条を誓う必要がない、守らなくてもいい、と本当に考えているのだろうか?
例え発したのが「沢尻エリカ」という人間であったとしても、言っている内容自体は『正当な話』であるのに、それを否定する。
中身をまともに読まず、単に「嫌いな人だから」と言う理由で条件反射的に否定する。
はっきり言って、これでは、日本人の多くが「論理的に」考える事もできず、感情だけで動く知性無き集団だと言っているようなものだ。
今、沢尻エリカを批判する人は、自分がどれだけ馬鹿な批判をしているのか考えてみるべきだろう。
-----
もし、沢尻エリカのこの6箇条の誓約書を否定するのであれば、それは、
自分達は、
「嘘偽り・わい曲や誤解を招く報道をされても構わない
根拠が無いままに噂されても構わない
一方的か屈辱的に表現されたり侮蔑表現されたり、名誉棄損されても構わない
私生活やプライバシーにかかわる情報を無許可で流されても構わない
不正確、有害な情報でも、訂正しなくて構わない
私生活などを撮影した映像、画像を勝手に公開されて構わない」
と、自ら認めた事になるのだから。
------
社団法人日本民間放送連盟 放送倫理基本綱領
1996(平成8)年9月19日制定 より
『放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。
放送は、適正な言葉と映像を用いると同時に、品位ある表現を心掛けるようつとめる。また、万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。
報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。放送人は、放送に対する視聴者・国民の信頼を得るために、何者にも侵されない自主的・自律的な姿勢を堅持し、取材・制作の過程を適正に保つことにつとめる。』
http://nab.or.jp/index.php?%CA%FC%C1%F7%CE%D1%CD%FD%2F%CA%FC%C1%F7%CE%D1%CD%FD%B4%F0%CB%DC%B9%CB%CE%CE
民放連の倫理綱領の抜粋だが、ここに書かれていることを守りつつ、でも沢尻エリカの言っている事は守るつもりがない、誓約する必要がないという事が、本当にできると思っているのだとしたら、まともな思考の持ち主とは思えない。
それとも、倫理綱領自体がただのでまかせに過ぎないから構わない、とでもいうのだろうか。
……その可能性の方が高いかな。
まあ、実際に「誓わなかった」としても、この6箇条に反した行動を取ったマスコミは、その時点で、訴えられても文句は言えないのだけどね。
「誓わなくても守られるべき事」だから。
……その覚悟も無いマスコミの方が多そうだけど。
----
同じように「疑問に思っている人」のブログ
「六箇条の誓約書」(歴史エントリーではありません) lenyさん
http://leny.iza.ne.jp/blog/entry/1502648
「普通」に考えたら、なぜ批判できるのか理解できないよねぇ……
3月16日16時18分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100316-00000544-san-bus_all
さて、ネットやマスコミでは色々と叩かれているが、私からしたら「なぜ叩かれるのか」が解らない。(まあ、態度とかに問題があるというのは解らないでもないが)
まず、マスコミに求めた6箇条の誓約書を見てみよう。
★マスコミに求めた6箇条の誓約書(要旨)
1.情報や声明は正確に伝える。わい曲や誤解を招くことを避ける
2.情報を公開する前にその信ぴょう性を十分確認し、根拠のないうわさ話は公開しない
3.一方的か屈辱的な表現や侮蔑表現を使わず、名誉棄損するようなコメントはしない
4.私生活やプライバシーにかかわる情報は許可なく公開しない
5.不正確、有害な情報を公開したら訂正する
6.私生活などを撮影した映像、画像は許可なく公開しない
これにマスコミや馬鹿なネット住人は猛反対している。
「なぜ誓う必要があるのか」「なぜ破ったからといって訴えられなくてはいけないのか」
「取材に注文をつけるとは何様のつもりだ」などなど。
だが、ちょっと待ってほしい。
内容に、何か問題があるだろうか?
何か、人として要求してはいけないような事が書かれているのだろうか?
マスコミ(報道・取材する側)としては、守る事ができない・無視していい内容なのだろうか?
1.情報や声明は正確に伝える。歪曲や誤解を招かないようにする。
これは、否定されるべき事なのか?
マスコミは、誓ってはいけない事なのか?
2.情報を公開する前にその信ぴょう性を十分確認し、根拠のないうわさ話は公開しない
記事にする前に、ちゃんと確かめる。根拠を抑える。
報道するものとしては当たり前の事じゃないのか?
----
以下、同じ事の繰り返しなので省略するが、「沢尻エリカ」の要求は明らかに『報道に携わる者』として『守らなければいけない事』しか書かれていない。
それが、例え屑のパパラッチ集団であっても、本来『守るべき事』しか書かれていない。
別に沢尻が言わなくても、これは必ず守らなくてはならないことのはずだ。
にも関わらず、マスコミの多くは「なぜ誓わなければいけないのか」と文句を言う。さらに、他の芸能人も「そんな要求をするのは間違っている」とのたまう。おまけに、国民の中にも「そんな事を誓わせるのはオカシイ」という始末。
じゃあ全員、マスコミが上の6箇条を誓う必要がない、守らなくてもいい、と本当に考えているのだろうか?
例え発したのが「沢尻エリカ」という人間であったとしても、言っている内容自体は『正当な話』であるのに、それを否定する。
中身をまともに読まず、単に「嫌いな人だから」と言う理由で条件反射的に否定する。
はっきり言って、これでは、日本人の多くが「論理的に」考える事もできず、感情だけで動く知性無き集団だと言っているようなものだ。
今、沢尻エリカを批判する人は、自分がどれだけ馬鹿な批判をしているのか考えてみるべきだろう。
-----
もし、沢尻エリカのこの6箇条の誓約書を否定するのであれば、それは、
自分達は、
「嘘偽り・わい曲や誤解を招く報道をされても構わない
根拠が無いままに噂されても構わない
一方的か屈辱的に表現されたり侮蔑表現されたり、名誉棄損されても構わない
私生活やプライバシーにかかわる情報を無許可で流されても構わない
不正確、有害な情報でも、訂正しなくて構わない
私生活などを撮影した映像、画像を勝手に公開されて構わない」
と、自ら認めた事になるのだから。
------
社団法人日本民間放送連盟 放送倫理基本綱領
1996(平成8)年9月19日制定 より
『放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。
放送は、適正な言葉と映像を用いると同時に、品位ある表現を心掛けるようつとめる。また、万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。
報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。放送人は、放送に対する視聴者・国民の信頼を得るために、何者にも侵されない自主的・自律的な姿勢を堅持し、取材・制作の過程を適正に保つことにつとめる。』
http://nab.or.jp/index.php?%CA%FC%C1%F7%CE%D1%CD%FD%2F%CA%FC%C1%F7%CE%D1%CD%FD%B4%F0%CB%DC%B9%CB%CE%CE
民放連の倫理綱領の抜粋だが、ここに書かれていることを守りつつ、でも沢尻エリカの言っている事は守るつもりがない、誓約する必要がないという事が、本当にできると思っているのだとしたら、まともな思考の持ち主とは思えない。
それとも、倫理綱領自体がただのでまかせに過ぎないから構わない、とでもいうのだろうか。
……その可能性の方が高いかな。
まあ、実際に「誓わなかった」としても、この6箇条に反した行動を取ったマスコミは、その時点で、訴えられても文句は言えないのだけどね。
「誓わなくても守られるべき事」だから。
……その覚悟も無いマスコミの方が多そうだけど。
----
同じように「疑問に思っている人」のブログ
「六箇条の誓約書」(歴史エントリーではありません) lenyさん
http://leny.iza.ne.jp/blog/entry/1502648
「普通」に考えたら、なぜ批判できるのか理解できないよねぇ……
自分がいると犯罪者が生まれる。「だから」一生懸命、存在します。 あれ? ― 2010年03月29日 21時56分27秒
首相「勝場君は、私がいなければ罪犯さなかった」
3月29日18時23分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100329-00000951-yom-pol
>「勝場君は私のためを思って働いてくれて、このようなことを犯してしまった。私という政治家がいなければ、こういう罪を犯さなくて済んだ」と語った。
その通り。
>そのうえで、「その責任の重さをかみしめながら、今置かれている立場で、国民のために精いっぱい働いて、使命を果たしたい」と述べ、首相の責務を全うする考えを強調した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
いや、だからあなたが「頑張れば頑張るほど」、「勝場君のような犯罪者が増える」という論理にしかならないのだが。
「自分がいたから犯罪者になった」と自分が原因である事を認めながら、「だから存在し続ける」というのは、「原因を今後も除去しない」と宣言しているだけなので、結果(犯罪者)も減ることはありえない、という理屈になる。
本当に、自分が何を言っているのか理解していないんだろうな、この人。
3月29日18時23分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100329-00000951-yom-pol
>「勝場君は私のためを思って働いてくれて、このようなことを犯してしまった。私という政治家がいなければ、こういう罪を犯さなくて済んだ」と語った。
その通り。
>そのうえで、「その責任の重さをかみしめながら、今置かれている立場で、国民のために精いっぱい働いて、使命を果たしたい」と述べ、首相の責務を全うする考えを強調した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
いや、だからあなたが「頑張れば頑張るほど」、「勝場君のような犯罪者が増える」という論理にしかならないのだが。
「自分がいたから犯罪者になった」と自分が原因である事を認めながら、「だから存在し続ける」というのは、「原因を今後も除去しない」と宣言しているだけなので、結果(犯罪者)も減ることはありえない、という理屈になる。
本当に、自分が何を言っているのか理解していないんだろうな、この人。
この記事を多くの人に読んでもらいたい!!そう思ったら『人気ブログランキング』押してください
最近のコメント