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どうして、感情だけでモノをいうのかな?2007年04月03日 03時23分18秒

自衛官が「人殺しの練習」=上田埼玉知事、式辞で発言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070402-00000113-jij-soci

これを、不祥事だとか、不適切な発言だという人が多いようですが、私からすれば当然のことを言っていると思います。

軍隊は「人殺しのための集団である」ということは否定できません。
と、いうよりこの事実を真正面から見据えることが「シビリアンコントロール」基本ではないのでしょうか?

どうも、今の日本人は、この手の「悪感情を与える言葉」に弱いようで、「感情」に訴える言葉を聞いただけで、ヒステリックに反応してしまうようです。
(最近の自分のブログコメントを見ても)

「冷静にモノを考える」 このことが、できなくなっていませんか?

しかし、今回の話で言えば、私が軍隊のありようとして、一番胸に刻んだ詩を思い出しました。

それは、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」です。

ああおとうとよ 君を泣く 君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや 人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

以下、略しますが、
この詩は、軍隊という矛盾、戦場の悲哀さを切々と詠っていると思います。

一度最後まで読んで、
「人殺しをするために」存在する軍と
「人殺しをさせるために」軍を存在させている私たちの業の深さを考えてみるべきだと思います。

…「言葉が過激だから」というだけで否定するのではなく。

ネット上での情報配信とは2007年04月06日 03時58分53秒

ある都知事選候補の政見放送がネットの動画サイトから配信されているのだが、この配信を停止させようと、東京都選管が削除要請をしたとのこと。

動画サイトに都知事候補の政見放送、選管が削除要請
4月5日23時50分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070405-00000113-yom-soci

さて、この削除要請、うまくいくのでしょうか?

実は法的には、この配信は何ら問題がありません。
したがって、配信削除要請は、選管の主張による「選挙の公平性が保てない」という理由しかないのが現状です。

この理由で、第三者が配信要請した動画を削除可能なのでしょうか?

この問題は、YouTubeだけでなく、ネット上で自由配信を行っている各サイトにおいても重要な問題となります。

削除要請を満たすには、要請をする側が、要請するに足る理由を立証する必要があります。
しかしながら、実際、見てみると分かりますが、たとえこれが他の候補であったとしても、この配信が「選挙の公平性を著しく阻害している」ということを立証するのは難しいと思われます。
ですので、この理由づけで「削除に応ずる義務」は、本来、YouTube側には低いと考えます。

ですが、これが削除された場合どうなるでしょう?

単純に、一公的機関の「立証のない主張(根拠のない主張)」により、動画配信サイトが削除要請に応じる。

これは、実は、表現・報道の自由などに対し、公的機関が自ら立証することなく制限を加えることに成功した。
という事実を生み出すことになりかねません。
いかがなものでしょうか?

私としては、「理由の正当性なし」ということで、配信についてはもっとがんばってもらいたいと思います。

隠蔽体質が問題。2007年04月06日 17時05分47秒

5人けが、複雑骨折も=「新SASUKE」収録で-TBS
4月6日12時31分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070406-00000069-jij-soci

どんな番組でも、「前よりも」面白くするには、面白い部分を「前よりも」質・量ともに増やさなければならない。
これは当たり前。

「前と違った」面白さを追求するのならば、まったく別な作品を作ることができるが、「前と同じ」事を継承するならば、前よりも改善されていなければ受け入れられない。
これは、メディアの問題だけでなく、どんな商品でも要求されることだろう。

だから、そういう観点からすれば、サスケがより過激になるのはやむをえないかとも思います。

ただ、問題なのは、「事件を隠蔽しようとしたこと」だと思います。

3月3日の時点ですでに全治6カ月の重傷を負ったにも関わらず、この事件をプロデューサーが4月2日以降の調査ではじめて判ったというのは、さすがに信じられません。

もし、そうであるならば、事故が発生しても「プロデューサーにさえ報告しない」組織体系だといえるし、もし報告があがっているなら、プロデューサー(またはその上部)が隠蔽しようとした(もみ消そうとした)ということになるでしょう。

つまり、どちらに転んでも、「隠蔽」をすることが基本とした組織であったということ。

何か問題が起きても、隠蔽して無かった事にしてしまえばいい。
これは、日本人の性質なのでしょうか?

困ったものです。

危険な日本人の思い込み2007年04月11日 03時16分00秒

<高崎経済大>准教授を懲戒免職 ゼミ女子学生の自殺で
4月10日0時40分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070410-00000000-mai-soci

さて、一日たちましたのでそろそろ取り上げてみたいと思います。

「実際の内容がこの記事だけではまったくわからないので、記事だけで、この准教授や自殺した学生の是非をとやかくいうことはできません。」

実は、この考え方こそが、今後、日本人全体に必要となる考え方だと思います。
特に、今後始まる裁判員制度において必要になります。


私は、今、日本人の多くが「思い込み」で判断している事を危惧しています。

実際、この問題を取り上げたブログを読むと判るのですが、多くのブログで「被害者(と言っていいのかどうか)が自殺した以上、自殺に追い込んだ准教授は悪である」という一方的な思い込みで意見を書いています。
(やっと沈静化して、別な視点から物事を解釈しようとする人が出始めていますが、それでも大勢は「准教授=悪」です。)

「死んだから被害者、死なせたから加害者」「死なせた以上、死なせるだけの悪事を働いたに違いない」「そういえば、セクハラ発言・パワハラ発言もあったそうだ」「新聞に載るくらいだから、悪に違いない」

この論調がほとんどです。

ですが、このように偏った考え方は、非常に危険だと思います。
なぜなら、自分で情報の正否、また状況を正しく把握しようとせず、単に「新聞に書いてある」という事実だけから思い込みで結論を出しているからです。

これが、そのまま裁判員制度に持ち込まれたらどうなるでしょう?
おそらく、「裁判にかけられている以上、かけられるに足る理由(つまり犯罪)を犯したに違いない」と、一方的な思い込みで話が進むのではないでしょうか?
実際、「警察に逮捕された・検察に起訴された以上、『逮捕・起訴されるだけの理由がある』に違いない」とすでに、被告人を「犯罪者」扱いにする報道や一般市民が多くいるのは事実です。

ですが、このような妄信は許されるのでしょうか?

「自分で情報を吟味する」
今、この視点を多くの日本人が失っていると思います。
この状況で裁判員制度が始まる事を非常に危惧します。


ちなみに、私が好きな映画に「12人の怒れる男たち」というものがあります。
このオマージュとして「12人の優しい日本人」というものもあります。

この二つを対比してみると、陪審員制度がうまく機能している(とはいえ、今の陪審員制度は「ショーマンシップ裁判」に堕しているともいえるのですが)アメリカと、おそらくうまくいかない日本とが対比して見ることができるのではないでしょうか。

人はそれほど強くない2007年04月22日 15時30分29秒

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070422-00000004-jij-soci
電車内での強姦行為について

この犯人に対し温情をあげる気はさらさら無いが、問題なのは周囲の乗客とこの記事に意見を書いている人たちの事。

周囲の人たちが、恐怖に震え動けなかったことを非難するブログが多いのですが、書いている人たちは「その時、本当に意思を貫ける」ほど「自分が強い」と胸を張っていえるのでしょうか?
義憤であったとしても、本人が特定できないブログ(ハンドルネームしか出さない)程度でしか格好いいことを言えない人が、実際の局面で言ったとおり動けるのでしょうか?

はっきり言って疑わしいと思います。

人はそれほど強くありません。

確かに、他のブログに書いてある通り、他の乗客が助けるなり通報するなりすれば助かったのは事実です。
だけど、それができなかった人達を責める資格は、私にはありませんし他の誰にもないでしょう。

確かに、多少腹が立ちますが、普通の人が「弱い」事を責めることはしたくありませんね。
「自分の弱さ」を責めることはあってもいいでしょうが。
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