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これは、不祥事といえるのだろうか?2008年04月03日 13時50分19秒

佐賀の女子高、職員採用試験で性への関心度アンケート
4月3日11時22分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080403-00000011-yom-soci

 佐賀市の私立佐賀女子高(川崎湧三校長)が2月の職員採用試験で行ったアンケートの中に、性への関心度を確認する設問があったことがわかった。

 同校を運営する旭学園(高島忠平理事長)は「不快な思いをさせて申し訳ない」と陳謝。男女15人の全受験者に謝罪文を送る。

 旭学園によると、アンケートは2月25日の教員採用試験と同29日の技術職員採用試験で、筆記や面接とともに行った。川崎校長が面接の参考にしようと、アンケートを面接直前に実施したという。

 計79問で、協調性など性格を確認する内容に交じって、「セックスにそれほど興味はない」との問いがあった。また、「恋人や友人と別れると、すぐ代わりの人を求めるほうだ」との設問も含まれていた。いずれも「○(当てはまる)」「△(どちらとも言えない)」「×(当てはまらない)」で答えさせた。

~ 今回は全文引用

さて、この記事をどう思いますか?

私自身としては、「質問としては稚拙」だとは思いますが、「不祥事」だとは思えません。

教師となる以上、生徒に対し指導・教育する立場になります。
それは教科内容だけでなく、生活態度・倫理等も含まれます。

その中では、当然、年齢的に言っても「性生活を含めた恋愛関係・男女関係について」も指導する立場になる事が予測されます。

では、その教師の「基本的理念」等を知らずに雇うことに問題はないのでしょうか?

私自身は、性関係・男女関係に関して、ある部分、古典的思考ですが、一方でとても先進的な考え方を持っています。
その自分が、「学校教育」という中で、他の先生と同様にまたは学校の基本理念にあわせた形や一般化された『奇麗事』の恋愛観・性生活についての男女間教育ができるか?
と問われれば、それは学校とのヒアリング関係をしっかり持たなければ保証できない、といえます。

ごまかして「学校に併せて、自分の本心と異なる」教育はできるかもしれません。
ですが、恋愛観・性生活等に関する考え方は、本来、自分の「あり方」(基本理念)に根付くもので、その根底を「自分に嘘をついて」まで迎合して教えるのですから、教えるものとして『誠心誠意』教えられるかと聞かれれば、”それは無理”だとしかいえません。
(「自分でも信じていない事」を教えるのが、良い教師だとは思えません。)

なので、私がもしこのような事を問われるのであれば、真面目に答えます。
その上で、「このような思想に基づいて、倫理を説きますがよろしいですか?」
と逆に学校に問いかけます。

ですから、私としては「問うのが当然」だと考えます。

このような問題を、もし、教員志望で、これを「不快」と捉えるのであれば、それは「教える」という事を理解していない「でもしか教師」だと言うことでしょう。
また「そんな事を問う学校はおかしい」という人は、「でもしか教師」に学びたいという奇特な人だと言えるでしょう。

さらに「こんなの適当に嘘でも書いておけばいいじゃないか」というのであれば、教育の現場でも「ウケがいいように、嘘でもいいから耳障りのいい適当な事を書けばいいんだよ」と教えるような人だということです。

そのような、質の低い考え方が蔓延するほうが問題だと私は思います。


追伸:このアンケート自身を見ていないからなんともいえませんが、アンケート自身も稚拙であった可能性はありうるとも思います。
それでも、このような事を問うこと自体を否定する気はおきません。


さらに追伸:
「自分でも嘘だと思っているのに教える」のは反対ですが、学校で定められている事を「自分の信念と違うから」と教えないのは、「学校の教師」としては論外だと思います。
これは、どこぞの変な理念に基づいた反日・反国家思想の教員方のことです。
自分が、その学校での教育理念に合わないのであれば、学校を辞めて外で「自分の理念教育」を行うべきです。

それを、その学校の立場を利用しつつ学校に反乱する事を行う。
これは教師である以前に人として問題があると考えます。

このような人々は、国家にありながら反国家をたくらみ実行する人、そう「テロリスト」と代わりが無いのですから。

自らの学校を利用し、自らの学校を汚す「教育テロリスト」。
彼らに「教育」という言葉は使って欲しくないものです。

一般常識を知らない人に教育ができるのか2008年04月13日 23時55分03秒

<入学式>入学金未納の2人、出席させず 千葉県立高
4月13日2時31分配信 毎日新聞

(略)

 教育評論家の尾木直樹・法政大教授(臨床教育学)は「極めて機械的、官僚的対応。学校側は2人だけではなく、生徒、保護者に謝罪すべきだ」と話している。【神足俊輔】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080413-00000005-mai-soci


さて、私が批判したいのは、この馬鹿な臨床教育学教授。

「教育とは何か?」といえば、まずは「基本の事柄」を教える事だと思う。
そして、世の中の基本的な事柄は何かといえば、

「サービスを受けるには対価がいる」という事だ。

無料・無償、何ら対価が生じないサービスというものは本来存在しない。

どんな行動にでも、必ず「対価」は存在する。
無償サービスというものも、金銭的対価を必要としないだけで、実際は、それが行われる事により「広告宣伝効果を得る」(広告宣伝費の代わり)や「他の人が対価を支払っている」というように、必ずどこかで「対価が支払われている」。

では、今回の場合はどうだろう?

教育といっても、高校である以上、それは「教育サービス」であり「有償」が絶対原則だ。
したがって、「対価を支払わない」ものは「サービスを受けられない」ということになる。

ならば、入学金を支払っていない以上、正当な理由が無い限り、「入学式に参加する・授業を受ける」資格は存在しない。

そのような「無資格者」を参加させる事が、正しい行為だといえるのだろうか?

もちろん間違っている。
そのような行為は逆に「正当な資格者の権利」を侵害することであって、社会的に許されない行為だと考える。

もし、このような考えを「正しい」とするのであれば、今後、どんな行為であっても「正当な権利が無くても行使・参加できる」という原則が成立することになる。

そのような社会は、「適切な社会」だとはいえない。

したがって、私は、今回の八千代西高校の行為は正当な行為であって、何ら謝罪の必要性のない行為だと考える。

このような場合、むしろ「一般社会の常識を教育する上でも、正しい行為だった」というべきだろう。

『ただでも、ごね得さえすれば何でもできる』ように周囲を整えて、育てるのが教育ではないはずですから。


 後、今後は、法政大学臨床教育学・尾木直樹教授の講義については、
お金を払って無くても参加できて、成績さえ良ければ無料で単位がもらえるのですよね。

…そうならないとおかしな話ですから、尾木教授。

講義料を払っていないからと言って、参加を拒否させるのは、『極めて機械的、官僚的対応。』で、『当事者だけではなく、他の学生、保護者に謝罪すべき』と、自ら述べたのですから。


にしても、この程度の話をするレベルが教授をできるのですから、法政大学のレベルも、まあ、その程度ということですね。

立命館大学では、望んだ教育を受けられない?2008年04月14日 18時04分29秒

<立命館大>生命科学部の定員が基準超過 新入生に転部募る
4月14日15時1分配信 毎日新聞

 立命館大(京都市中京区)で今春開設された生命科学部(滋賀県草津市)の入学定員超過率が1.48倍にも達し、大学が同学部の新入生から、他学部への転籍希望者を募る騒ぎになっている。(略)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080414-00000046-mai-soci

いくつかおかしな点を感じました。

まずは、立命館大学は、合格させておきながら『君に教育はしないよ』と、宣言するのですね。

また、この話を読むと、
立命館大学は、生命科学部の学生は、「生命科学を学ぶ事が目的ではなく、単なる腰掛」の学生だと見ている、という事になるのですが。

だって、生命科学を学びたいから生命科学に来たんでしょう?
なら、転籍するわけがないでしょう?

それとも「立命館だったら、どこの駄目学部でもいい」って来たということなんですか?

まあ、学生自身は、安易な気持ちで来ているのかもしれませんが、「講義を行っている大学」自身が、それを認めるのは問題でしょう。


しかも、この記事、解説やコメントも振るってます。

>難易度も受験科目も違う学部への転籍が可能で、

>国内私学文系では最難関クラスの国際関係学部や生命科学部よりも難易度が高いとされる法学部への転籍も可能だった。

全員が「生命科学を学ぶより、国際関係や法学を学ぶ方が得だ」と考えているのでした。

いや、そもそも「生命科学を学ぼう」と考えているなら、法学部や国際関係学部へ行っても無駄なんですけど。

逆に、法学部や国際関係に進みたい人間が、生命科学を受験するっていう事もあまり考えられないんですけどね。

……偏差値や難易度だけでモノを考えている人が、大学だけでなく記者や批評家にもおおいという事が判る記事でした。

「学びたい物」と受験難易度はまったく違うのですけどねぇ。

結局、「日本の大学で学ぶ事は、実際には何の関係もない」っていいたんでしょうか?
この記事を書いた人々&立命館大学の皆さん。

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ちなみに

>入学定員は280人だったが、予測を大きく上回る414人が入学手続きをした。

> このため、同大学は定員超過率を1.4倍未満に抑えようと考え、1.39倍となる学生数389人に目標を設定。今月初め、25人の転籍希望者を募集した。

これで、転籍希望者は何人いたんでしょう?
414人全員が応募したとかだったら面白いんだけど。

判決そのものは妥当だが2008年04月22日 13時39分54秒

光市母子殺害、当時18歳の男に死刑判決…広島高裁
4月22日12時5分配信 読売新聞

 山口県光市で1999年4月、会社員本村洋さん(32)の妻弥生さん(当時23歳)と長女夕夏(ゆうか)ちゃん(同11か月)が殺害された事件で、殺人、強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元会社員(27)(犯行時18歳)の差し戻し控訴審判決が22日、広島高裁であった。
 楢崎康英裁判長は無期懲役の1審・山口地裁判決を破棄、求刑通り死刑を言い渡した。少年による重大事件への厳罰化の流れに沿う判決になった。弁護側は上告した。

 死刑適用基準の指標とされる最高裁が83年に示した「永山基準」以降、犯行時に少年だった被告の死刑判決が確定したのは2件で、いずれも犯行時19歳、被害者は4人。今回の事件は、少年法で死刑適用が認められている18歳を1か月過ぎた少年による被害者2人のケースで、差し戻し審では死刑選択の是非が争点だった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080422-00000021-yom-soci


この事件、まあ、判決そのものは妥当だと思います。
ですが、周囲の「狂乱」は、いかがなものでしょうか。


一般人の対応と、マスコミの取り上げ方の異常さの方が際立っていて、その方がより問題があると思いました。

まずは一般の人の取り上げ方。
Yahoo 毎日新聞のネットコメントをいくつか拾って読んだのですが、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080422-00000003-maiall-soci

ここのヒステリー状態はどうかと思います。

確かに、二人殺害した事件に対し、その弁護状態や少年法に基づく司法制度に問題がないと這い言い切れませんが、でも、この「魔女狩り」状態は異常だと思います。

特に、「さっさと死刑にしてしまえ」「当然死刑でいいだろう」という論調は、
『正義の御旗』を振りかざして『自分達も人殺しに加担している』という視点が明らかに欠けていると感じます。

また、明らかに「他人事」としか捕らえていないように感じられます。

法で定められていようがなんだろうが、本来、「死刑」も国家による人殺しです。
それを、自分達が支持するのであれば、「自分達も人殺しである」という事を認識する必要があると思います。
その覚悟も無いのに、単に「ヤツは悪だから殺していいんだ」とする風潮。
これは非常に問題があるのではないでしょうか?

これは、テレビの「勧善懲悪ドラマ」じゃなく「現実の事」だったはずです。

かつて中世ごろまで、死刑・処刑は公開の場で行われました。
これらは一種の残虐ショーとして、市民の娯楽でした。

この公開処刑を「残虐だ」とか「非人道的だ」とか「野蛮だ」などという人がいますが、今回の狂乱状態は、当時のメンタリティと今とが大して変わらない事を示しているように感じられます。



また、「実名報道や写真の公開」を望む意見も多数見られますが、この意見も、今ひとつどうかと思います。

そもそも、一般の人が、これら犯罪者の「実名」や「顔」を知ってどうするのでしょう?

これも、単に自分の「知的興味」を満足させることと、顔を曝させて社会的抹殺を図りたいというだけの理由しかないのではないでしょうか?


結局、どこまでいっても、今回のこの事件、多くの人が、単なる「社会風刺劇」の「観客」でしかなく、その意見も「番組を見た感想」レベルでしか話をしていないように感じられてしょうがありません。


このような状況では、この事件とそれによって明らかになった法制度の不備などが改善されるような事はあまりないと思います。

観客は、単に「適当な感想」を述べるだけであって、「自分たちの事」として考える事はないのですから。

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ちなみに、マスコミの外しっぷりが、見ていてとても楽しい喜劇でした。

というのも、全部のマスコミが「10時開廷」の時点で、通常の判決と同じように、すぐ「主文読み上げ」から始まると思って、特番を組んで準備していたから。

でも、裁判官が変わった方だったから、『主文後回し』から入ったために主文読み上げが遅れる遅れる。

色々ゲストを呼んで、解説を入れるために気合を入れていたマスコミは、ほとんどが肩透かし。
まあ、死刑であれば「主文後回し」という事もよくある話なので、予定としては織り込んであったと思うのだけど…、さすがに2時間も説明に使うとは予想できなかったみたいだねぇ。

確かに、ここまで詳しく説明するとは私も思わなかったけど。

で、結局、特番には間に合わず、報道が入ったのは2時間後の正午になってから。

お昼の通常番組は外せないので、普通に放送を始めたのだけど、今度は始まってからすぐに「判決」をスポット的に放り込まないといけない始末。

見ていて、番組、結構混乱状態。

裁判官の方、ここまでねらってたんですか?
思いっきり笑えましたよ。


ま、事件を「売れるネタ」として報道しようとしていたマスコミの馬鹿差加減もよく見えて、よかったかもしれません。
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