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「強制起訴だから」という話のすり替えが無いように2012年03月14日 17時55分05秒

<詐欺罪>強制起訴の会社社長に無罪判決 那覇地裁
毎日新聞 3月14日(水)13時23分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120314-00000058-mai-soci

 例え、犯罪者「らしい」と思われても、そこに証拠が無ければ「疑わしきは罰せず」の基本原則に基づいて無罪となるべきだ。
 もし、一般市民が「起訴すべきだ」と考えたからという理由だけで、適切な証拠もなく有罪となるのならば、そこに法の下の正義というものは存在しなくなるから。多数の人間が理由も無く「疑わしい」と言いだせば、言われた人は犯罪者とされる事が当然となる無法国家が誕生する事になるから。

>検審は同7月「裁判所で真実を糾明すべきで、市民目線で巧妙と思われる詐欺の不起訴は到底理解できない」として起訴議決をし、指定弁護士が強制起訴した。【井本義親】

 単に訴訟効率のみで起訴・不起訴を決めるのは問題だ。
 検察・警察側が手を抜いた捜査をして「証拠が集まらなかったので不起訴とします」というような起訴権の逆濫用を容易にしてしまうから。それは被疑者側に「不作為による」利益を容易に与えることになり、権力者が違法行為をしても逃げられる制度を生み出す事になるから。

 これを防ぐために、権力者の影響を受けない第三者機関による起訴権限も必要だと私は思う。
 検察審査会は、そのためにも必要な制度だ。
 市民目線であったとしても、十分に有罪と判断できる証拠と自信があるならば起訴すべきだと思う。

 だが同時に、起訴した以上、十分な証拠をもって立証する責任がある。
 また「起訴したこと」についての責任も背負うべきだ。
 そうしなければ、何の責任も負わずに自己の主観のみを持って証拠も無く人を自由に裁判にかけ、他人の時間と労力を費やさせても構わないという事に繋がるから。

『私は、彼が犯罪者だと思ったから訴えた。彼が犯罪者じゃなかったとしても、訴えた責任を取る必要など私には無い。訴えられるような人が悪い』

 このような考え方は許されるべきでない。

『検察審査会が強制起訴したから』
 これだけの理由で、今回、この事件が大きく取りざたされているが、これは適切ではない。
「検察審査会だから駄目なのだ」などという話ではない。

 誰であろうと、今回の一件は「証拠不十分にも関わらず起訴した」事例に過ぎない。
 ただ「証拠不十分にも関わらず犯罪者と『決め付けて』起訴した」その責任を検察審査会が取ればいい。

 起訴したものが検察だろうが検察審査会であろうが、 法の下、正しい証拠提示と審理のみで裁判は決せられるということが守られていればいいのだ。


”法は文言以上のもの、行使する者もまた法ではない。”
  映画「牛泥棒」より

18:10 追記
今、テレビ朝日のスーパーJチャンネルを見た。
大谷昭宏氏がコメントで「冤罪に繋がる恐れがある」という発言があった。

 これこそが全く間違った視点の話だ。

 冤罪に繋がるかどうか、は「裁判所が適切に判決するかどうか」であって、 あくまでこの件は「起訴権の濫用にあたるかどうか」の問題でしか無い。

 「検察審査会制度の見直し」などという話ではない。
 「不適切な起訴」を行った検察審査会が「どのような責任を取るべきか」という話だ。

 自称、人権派のテレビ朝日の間違った論調。 相変わらずだ。

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