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研修の感想 ミスマッチって痛いなぁ2014年12月01日 19時00分09秒

 久しぶりに研修に出た。

 今回は、千葉県いのちの電話の方を招いて「傾聴」についての研修。
 業務としての関連性は非常に高いのでためになるはずだった。

 が、今日の研修の感想としては『ミスマッチ』の一言につきるだろう。

 元々、行政書士の「仕事の手順」は「相手の話を聞き、相手の望みを理解し、問題点を整理し、解決する(解決策を提示する)」となっている。
そのため、『聞く』という作業については、我流であってもそれなりのやり方が身についていて、正統派の傾聴とまではいかなくても、真似事レベルまでは十分に行ってきているのが普通だ。

  この状況で傾聴について学ぶとすれば、いまさら「傾聴とは何か」から始める必要なく「正統派の方法」や「我流で陥りやすい問題点」が中心で十分だろう。

 ところが、今回の研修は「傾聴とは何か」「相手の話を聞くとはどういう事か」を知らない相手を対象としたレベルの研修だった。

 受講者側としては、元々「聞くこと」を前提として仕事をしている以上、講師の話す内容も「何をいまさら」感のある話が多かったし、ワークショップにおいて「聞かない場合」をロールプレイしても戸惑うばかりだった。
 また、講師の側も「想定していたレベル」で教えることがあるのか、微妙に混乱していたように見えた。

 本来、今回の研修内容は、これから行政書士を開業する「相談者の話を聞く」という事はどういう行為なのかを知らない、ほとんど意識できていない人向けの内容だったと思う。
 会で言えば、新人研修・開業研修で必要な知識レベルだろう。
 現に開業して『聞く』作業を実践している会員レベルの研修ではない。

 この『ミスマッチ』の原因は、おそらく研修センター側が、いのちの電話と意思疎通をしっかり取らなかったからだと思う。
 「行政書士がどういう手順でどのような仕事をしているのか」「どのような研修内容を必要としているのか」ということを理解できるように説明していなかったかのではないだろうか。また、相手が理解したかどうか確認しなかったのではないだろうか。
 「行政書士」だとは話したのかもしれないが「どういう手順で」仕事をしているのか、いのちの電話と類似点はどこにあるのか、という事まで相手と話していなかったのではないだろうか。
 実際、講師の方も「行政書士がどういう仕事をしているのか知らない」というようなことを途中でもらしていた。

 今回、傾聴という行為を学ぶこと、また、いのちの電話との接点を会が持つことは、非常にプラスだったが、根本的なミスマッチによる混乱が発生したのは非常にもったいなかったと思う。

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千葉県いのちの電話
https://www.chiba-inochi.jp/ (ネット相談)

043-227-3900 (電話)

24時間受付中

何でもいいから苦しかったら電話すればいいと思います。
「とりあえず話す」だけでも楽になれるかもしれないし。

「がんばります」に意味は無い 22010年01月12日 19時23分10秒

さて、ここからは行政書士としてのお話。

 11月に倫理研修というのを千葉会で行ったのだが、ここでもこのような話を実際に講師がされていた。

 新人が仕事をしたがるあまり、判断を誤り「できます」と安請け合いしてしまうが、実際には十分にできなくてクレームが発生する場合のことだ。

 ただし、講師はこの話を「倫理」(『誠実』に業務を行う義務)として説明していた(時間が短かったという事もあるだろうが)。
 大雑把に言えば、「仕事を頑張ったから評価してほしい・仕事をやりますといって結局できない、というのは意味がない」というような内容だ。

 私自身、内容には大きく同意するのだが、これを「倫理」としてだけ説明してしまったのではちょっと足りないのではないか、とも考えている。
 ただ単に「倫理」とだけ説明してしまうと、「精神的なもの」ととらえて「努力した方がいい」「品位として守った方がいい」という風に、受講者としてはとらえかねない危険がある。実際、受講者の中にもちらほらと「主に品位を守るために必要な問題」として、倫理的にとらえているふしが見られた気がした。

 確かに「倫理」(『誠実』に業務を行う義務)としての側面も大きい。だが、それだけでなく「企業努力(事業努力)」としての顧客満足の問題として『も』教えた方が良かったのではないだろうか。
 行政書士だから「社会的に高品位を保つ」義務があるとは思う。
 だが「高品位を保つ」理由を「社会的意義」等のみに求め「精神論・倫理」を要求したとしてもどれだけの人が付いてくるだろうか。
「社会的意義」だけで「食い詰めている」先生達が従ってくれるだろうか?
 結局「そうは言っても仕事がなければ意味がない」となるのではないだろうか。

 ところが、この話を「経営論」として「顧客満足」の面からも進めていけば、どうなるだろう。
 「仕事を受けたとしても次に繋がらない。自分の健全経営が成り立たなくなる」と、なれば「今、仕事を受けたとしても意味がない」という理由で、倫理面だけでなく経営面からも抑制をかけられるのではないだろうか。

 私の中では、このような考え方が湧き上がっている。

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 どんな企業も「業」として「経済的利益を求める」事が前提だ。
 これは「法律隣接職」である私達も同じだろう。
 個人事業者であっても「事業者」である事は変わりがない。

 確かに「高品位」のサービスを提供することが、社会的に求められていたとしても「事業者として」成り立っていなければ意味がないだろう。

 そういう意味では、私達法律サービスであっても「経営」としての考え方が必要だと思う。

 実際、行政書士会で問題となっているクレームの多くは「健全経営のための手法」という観点からすれば、自然と「否定される」内容がほとんどだ。
 本来、「事業者として」の経営原理が頭に入っていれば、当然に『発生しない・回避される』ような問題がほとんどだ。

 ところがこれが何度も発生している。

 この原因の一つは、これを「倫理的な問題」としてしかとらえていない事にあると思う。
 会でも、綱紀等で問題を取り上げ対処するだけで根本的な「経営問題」としては誰も対策を考えていないように思われる。

 「高潔な倫理があればこのような問題は起きない」、という視点だけで考え「ならば高い倫理観が持てるように研修すべきだ」と短絡的にとらえているようにしか見えないのだ。
(そのための「倫理研修」という感じだし)

 確かに「高い倫理観」は必要だと思う。

 だがそれは、行政書士事務所として「健全・適切な経営」がなされていることが前提だと思う。

 私達は霞を食って生きているわけではないし、
「衣食足りて礼節を知る」の言葉どおり、逆に言えば「衣食が足りなければ礼節など意味がない」のだから。

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「健全に事業経営をする意識」が根底にあり、その上で「通常人より高い倫理観」を持つ。

 これが、本来、私達法律サービス業の「あるべき姿」だと思う。

「がんばります」に意味は無い 12010年01月12日 19時19分28秒

 先日、興味深い事があった。

 パスタ屋で早めの昼食を取っていたのだが、時間は12時をまわり、徐々に店内が込み始めた。

 そこに二人組みのサラリーマンが来店し店員に席を提示されたのだが、サラリーマンが席に向かっていくと、実はその席がすでに他の客が使われている事がわかった。

 セルフサービス式のドリンクバーがあるので、その席にはお客がいなくてハンカチだけが荷物代わりにおかれていた。入り口からはハンカチが見えなかったので「空席」と店員は思ったらしい。
 店側としてはテーブルコントロールを始めたばかりで、空席と使用中の席が混在していて、完全に管理できていなかったようだ。

 実際、紹介された席は詰まっていたが、カウンター席や反対側の方にはまだまだ空いているテーブル席も有る状態だ。

 さて、ここで席を使われている事を判ったお客はどうしただろうか?
 他の席に移ったのだろうか?

 答えは「食べるのをやめて出て行った」だった。

 ちょっとずらせば十分に座って食事ができるのに「紹介された席が実は使われていた」という事だけで『その店で食事をする』意欲を失ったのだ。

 これを『短気な客だ』と思うのは簡単だろう。
 だが私はこの時、ある「顧客満足論」を思い出した。

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 顧客の満足についての評価度合いは、

 事前に「このように達成してもらえるだろう」という期待が、実際に提供された製品・サービスによって「どのように達成され充足されたか」という事との、差によって決まるという話だ。

 今回の話で言えば、
「店舗側から席を提供された」時点で、そのお客は「指定された席に座って食事ができる」
という事前期待が発生する。ところが行ってみれば、その席はすでに使用されているために、事前期待が達成されることが不可能になってしまっている。

 この時点で、顧客は不満が発生する事になる。

(許可)>『事前期待』>現実の否定>『期待不達成(裏切り)による不満』

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 ここで「じゃあ違う席を提供すればいいじゃないか」という事を安易に考えるかもしれない。

 だが「代替案」が「最初の事前期待」を満たすものでしかなければ、「品質的に同じ」モノを提供し『最初の事前期待』を達成できたとしても「裏切られた」という事実・意識自体を払拭する事はできない。
 『事前期待』と『サービス・製品』が等価関係、一対の関係である以上、『事前期待』+『不達成による不満(負の期待)』を満たすには、『サービス・製品』だけでなく+aが必要になるということだ。


(許可)>『事前期待』>現実の否定>『期待不達成(裏切り)による不満』

(同一サービスの提供)>『事前期待』部分の達成
        『期待不達成による不満』は残る。

※「事前期待」と「サービス・製品提供」が一対の関係
 『期待不達成による不満』と一対の関係を別途構築する必要がある。

 結局、このお客は「代替案」を提示される前に去っていったのだが、「事前期待」と「現実の不達成」との問題をよく表している一件だろう。

まあ、うれしいかな…2007年09月14日 00時00分52秒

あまり愛校心があるわけではないけれど、それでも、一応、面目を保っているのはうれしいかな?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070913-00000096-jij-pol
合格率40%、トップは東大=新司法試験合格者-法務省
9月13日18時32分配信 時事通信

一応、今回、母校の中大は3位。
元々「法科の中央」といわれるくらい、法律学部としては有名どころだけど、ここ最近ずっと低迷していましたから、よかったかと。


……30までフリーターしたあげく、「ちんたら勉強しなおすのメンドイ」という理由で行政書士試験を受けてそのまま開業。
という極悪非道な自分も、低迷の一員なわけなのですが。(-_-;)

まあ、それは置いておいて。

士業は試験合格者だけが開業できるので、合格者数の多寡がそのまま実務者数の多寡に直結します。

結果、「学閥」というほどのものでもないけど、まあ、出身学校によって微妙に人脈と言うか世界が変わってきます。それなりに。


…なんで、…ねぇ。色々あるのよ。一匹狼をきどっても。

まあ、ともかく。とりあえず3位 よかったかな。

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とは、いいながら、合格率40%というところがなんとも。

結局、数百万円ぶちこんでも
「6割の人は、無駄に投資しただけで終わる」という状況。

確かに、多くの司法浪人が「時間と労力」を見果てぬ夢に賭けていたことからは回避されるようになるかもしれないけど、その代わりに「多額の金銭」が夢と消える状況になりつつあるというのは、ちょっとねぇ。

実際、日本においては「弁護士」って十分足りているし。

「機動力と低コストの法律職」が求められているニーズなのに、準備段階で数百万かかっている状況からのスタート。
イソ弁として、同業者から安く買い叩かれる労働力になりそうな感じがするのですけど…ね。

司法書士や行政書士の方が、「対事業コスト」においては、弁護士より有利だと思います。はい。

まあ、そのため、昨今の日弁連のなりふりかまわない営業戦略は見ていて少し痛々しいくらいです。
(とはいえ、こちら側に対する非常に高飛車な要求は、まるでアメリカがゴリ押しで日本に要求を押し付けているがごとくなので、ちょっと頭にくるところが多いのですが)


コストその他を考えると、司法書士や行政書士は、弁護士の「半分」の収益でもほとんど同利益を保てそうですから。
(しかも「時間拘束」で見ても、法廷に出たり交渉したりする分弁護士の方が不利に感じるしねぇ。)

一仕事あたりの単価は安いけど、利益率でみると、ほぼ同等なのではないでしょうか?

今後、弁護士会や私たち行政書士会、司法書士会はどうなっていくのでしょう?
すでに受容供給バランスが崩れて、経済崩壊が始まっていると、私は思っているのですが。

……もう少し、真面目に今後の予測を立てていかないと厳しいかな?やっぱり。

「私たち」にできることは何だろう?2007年06月29日 22時58分57秒

最近、ちょっと悩んでいます。

今まで、多くの仲間(行政書士)と話をすることがありました。

不思議に思うのですが、
彼らの多くは「弁護士と同じように」やろうと考えています。

でも、なぜ「弁護士と同じように」やろうと考えているのでしょう?

私たちは弁護士ではありません。
だから、「弁護士ができること」をする必要は無いはずです。

なのに、「弁護士と同じように」やれなければならないと、囚われているように感じられます。
「法律職」という言葉によって、その最高峰である「弁護士業」に囚われているのではないでしょうか?

「法律職」ではあるけれど、弁護士と行政書士は違う存在です。
例えるなら「戦闘機」と「旅客機」は同じ「飛行機」ですが、「違う存在」です。
また「戦闘機」でも、「海上戦闘機」と「陸上戦闘機」でも「違う存在」です。

「違う存在」である以上、運用は異なっていなければいけないはずです。
なのに「戦闘機」という事で一括りにして、比べるのは愚かなことだと思います。

ならば、「弁護士」と「行政書士」も違う存在として考えなければいけないのではないでしょうか?

多くの人が助けを求めています。でも、助ける方法は「弁護士の方法」以外にもあるはずです。
「行政書士として」の権限の使い方によっては「弁護士と異なるアプローチ」による解決方法があるのではないかと思います。

今、私は「新しいアプローチ」を探しています。

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さて、何でこんな事を今回いきなり書いたかというと、
今、私が、県会(千葉県行政書士会)の中で、理事という立場にいるからです。
しかも、所属は「企画法規部」
これからの千葉会のあり方について、政策立案できる部門です(一応)
(ただしある意味、形骸化していますが。)

ところが、どうも多くの人が「行政書士としてのあり方」を考えることなく、または考えても近視眼的・硬直した思考(行政書士はかくあるべき)という考えに囚われて前に進むことができなくなっているように感じています。

結果、旧体然としたまま、動きが鈍い会となっているように思います。

だから、これを打ち破るためには「弁護士ではできない」アプローチを考える必要があるのですが、これを「企画書」レベルにまでまとめるのが一苦労。

いまだに、毎日色々、一人ブレーンストーミングをしている最中です。

なんで、なんとなく書きたくなったことを殴り書き。
とりあえず、オチも意味も無い、話
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