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「市長として」の過ち 大阪都構想問題2015年05月19日 01時33分04秒

 さて、大阪都構想が僅差で否決されたわけだが、一日経ったので私見を書こうと思う。

 今回の「都構想」、大雑把にみて政策内容自体にも問題があったと個人的に思うのだが、何より政策以前の問題で、橋下市長が「市長」として間違っていたと思う。

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 そもそも、知事・市長の両方の経験があるにも関わらず、橋下市長は広域自治体と基礎自治体の考え方の違い、対立構造を十分に理解していなかったのではないだろうか。
 
 元々、両者には、都道府県が広域を担い市町村はそれ以外の身近なことしか扱えないという関係がある。
 そのため「広域行政」において「地元の細かい意見が十分に反映されない」という欠点がある。
 そこで、基礎自治体は、広域自治体から地元での政策決定権を奪取し、同時に政策実行力をかなえられる体力(財源)を欲しがった。

 これが、政令指定都市・中核都市の「一部権限委譲」であり、平成の大合併による「町村の市への格上げ」だ。
 すべて「地元の意見をより細かく対応できるように」考えた行動にほかならない。
(一部の変な合併景気を考えた基礎自治体は別として)

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 さて、広域と基礎についてだが、どちらも「住民のために」という目的は同じだ。
 だが、優先される「住民」の範囲(「小さな地域」のみか「全体」か)が異なるため、視点・方針はまったく異なってくる。
 どれだけ密接な協力関係にあろうと「視点が異なる」ため、完全に一致する政策はなく、部分において対立が生まれてくる。

 そのため、互いに「決定権をより多く確保し財源も大きく確保したい」と主導権争いが発生し対立構造に陥るのが、広域・基礎自治体の関係だ。
 
 これは、広域自治体と国との関係でも同じことで。「一地域の幸福」と「より多くの地域(それ以外の地域)」の幸福どちらを優先するかは「それぞれの立ち位置によって異なる」という性質のものだ。
 さらに、同じ国民であっても「従事する産業の違い」「男女間の立場の違い」など立場が違う以上「幸福を目指す」といっても細かい部分で相違が生じ調整が必要となるものだ。

 これらは、どちらが正しくてどちらが間違っているというわけではなく、根本的に「視点が違うから」発生するものでしかない。

 この問題は、時間がかかっても互いに協議しまとめる必要がある話で、効率化のために片方の権限を無くしていいと軽々しくいっていいものじゃない。

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 そして橋下市長だが、彼は「大阪市」の市長だ。
 
 彼の本来の役目は、広域自治体の『全体のため』姿勢から「基礎自治体住民を守る」ことだった。
 
 ところが、彼が打ち出した「都構想」は「広域全体のため」に「基礎自治体を縮小する」もので、「府のため」に「市の権利と財源を移譲」し「小さな自治権」のみ確保しようとする考え方だった。
 確かに福祉関係など「広域以外の身近なこと」の範囲を拡大し、権限を維持しようと考えていたようだが、そもそもの「自身の権限・体力(財源)を返上しよう」という考え方自体が「基礎自治体の考え方」としては完全に間違っていた。

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 そもそも『市のまま発展するには(二重行政等で)自分では力不足です。だから市を縮小して府に財源・権限を渡しましょう』

 冷静に考えると、この発言は明らかにおかしい。
 これは「市長」自ら言っていい内容ではない。
 
『自分が市長として力不足だから、府にまとめて効率良くできるようにしましょう』
要は「自分の能力不足」を理由に「府に明け渡そう」と言っている。
 これは「市長として」は間違っている。
 
 本来なら、市長を辞めて他の人に市長をやってもらってから、その上で「誰がやってもだめだから返上しよう」と外から言うべきだったろう。
 
 橋下市長は「自分が市長である」ということと「市長とは何のためにあるのか」を理解していなかったのではないだろうか。
 
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 もしかしたら、橋下市長が、前回、市長選に立っていなければ、誰か別の人が市長として大阪市政が上手く回らなかったのなら「今回の都構想」をより多くの住民が納得して賛同していたかもしれない。
 

『都構想のために「市を解体する」目的で市長になった』
それが橋下市長の一番の失敗だったのではないだろうか。
 

『社会のために会社を潰す。そのために社長になりました』
 そんな「社長」の活動を積極的に賛同して従う社員など、世の中にそう多くはいないだろう。

経済活動を理解できない自民税調2014年10月26日 03時56分28秒

発泡酒と「第3のビール」統合、税額引き上げへ
読売新聞 10月25日(土)9時54分配信 (yahooニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141025-00050016-yom-bus_all

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 類似の商品を生産するのであれば、コストが安いものを中心に開発を進めるのは「正しい」経済活動。
 これを『類似の飲料なのに税額が異なるのは、税制上の問題があり、メーカーの競争環境をゆがめている』(自民党税調幹部)という発想を持つ方が異常だ。

 『税金を取るために』この論理を持ち込んだのだろうが、消費税増税の時と同じく『市場の拡大』をせずに『市場の税率を上げる』のは、「市場が生み出す利益」「市場で回るお金」を減少させることにしかならず、結果「全体の景気を落ち込ませる」だけでしかない。

 どうしてここまで現実から目を逸らすようになってしまったのだろうか。
 政治の劣化がはなはだしい。

アメリカの日系人コミュニティ2013年02月19日 01時03分14秒

 海外において日系二世・三世によるコミュニティがある。ブラジル移民などよく話題になるが、他の国においても同様にコミュニティは存在している。実際、アメリカにおいては第二次世界大戦時に収容所にて隔離された話が映画などで取り上げられている。

 これらコミュニティを「歴史において」存在していたことを認識していたが、私は、彼らの後継者が今でもコミュニティを形成しているという事を私は失念していた。
 不勉強だったと言わざるを得ないだろう。

 今回、河野太郎議員がその事を言及している。

河野太郎ブログ「ごまめの歯ぎしり」
総理訪米と日系人コミュニティ 2013年02月18日
http://www.taro.org/2013/02/post-1311.php

 河野談話を始め彼ら親子についての考えには賛同できない点も多々あるが、しかしながら『対米外交において現地の日系コミュニティとの交流もすすめるべし』という考え方は傾聴に値する。

一度、読まれることをお勧めしたい。

「クレジットカードが使えること」を利点にすることは許されるのか2012年10月05日 00時13分09秒

厚労省の薬ポイント禁止、ドラッグストアは無視
読売新聞 10月4日(木)17時37分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121004-00001075-yom-bus_all

 厚生労働省は今月1日から、処方箋を出して薬局で薬をもらう保険調剤で、患者が支払う自己負担分に応じてもらえる調剤ポイントを原則禁止とした。
 これに対し、ドラッグストア業界が猛反発。クレジットカードなどで支払った場合のポイントは容認されているためで、ドラッグストアの業界団体は、国の規制の無視を公に“宣言”するなど、異例の事態となっている。
「公平性から見て、国の規制はどう考えてもおかしい」。日本チェーンドラッグストア協会(横浜市)の宗像守事務総長は、強い口調で国を批判する。
(中略)

 厚労省は9月14日、「薬局の選択はポイントの提供によるべきではない」とする通知を出し、10月から原則禁止とする姿勢を改めて強調。クレジットカードなどの扱いについても、「年度内をめどに検討する」とし、何らかの規制を設ける可能性を示唆した。
これに対し、同協会は9月19日、「(クレジットカードなどとの)平等性により、調剤ポイント付与継続は来年3月まで可能」とする独自の見解を発表。大手チェーンの多くがこれを踏まえ、10月以降もポイントの提供を続けている。

最終更新:10月4日(木)17時37分

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 「クレジットならポイントは付与されるが、現金でのポイント付与は禁止」という状況になれば、消費者の選択において「ポイントの有無」すなわち「クレジット可能か否か」が影響を及ぼすことになる。
 つまり厚労省自らが禁止したことを厚労省自らが推進しているという、何とも自縄自縛な政策だ。

 これは明らかにドラッグ業界の主張の方が正しいだろう。

 もし、これを「公平な制度」とするならば「クレジットポイントを廃止する」以外に無いだろう。
 実際、今、仮に強気に取り締まっても「クレジット制度を認めていること」による現金薬局の不利益について行政訴訟を起こされた場合、国が勝てる見込みというのは低い。そのため「取り締まらないように」という指示が出ていることもやむをえない。


 ……と、現状をまとめた訳だが、実はこの話、そもそもの点から考える必要がある。

 実は、ポイントの有無にかかわらず、元々「薬局でのクレジット支払」そのものに非常に問題があるからだ。
「今、現金で払わなくてよい」ということは「現金を準備する必要が無くなる」というだけでなく、消費者は「本来の支払額」分を決済日まで有効に使うことができることになる。つまり「利便性」だけでなく明らかに「経済上の利益」そのものを生み出していることになる。
 これは、健康保険法上の改正規則「経済上の利益の提供による患者の誘引の禁止」そのものに抵触する可能性が高い。

 また、クレジット加盟店になりクレジット契約を成立させるためには、薬局は「クレジット会社」に対し手数料を支払う義務がある。この手数料を「消費者」に負担を負わせるわけにいかない以上、「販売した薬の利益」そのものから薬局が自己負担することとなる。
 この場合、薬局は「同額の薬」を提供したとしても「手数料分」薬局が自己負担をすることになる。
 つまり「クレジット払い」が増えれば増えるほど、薬局は「公定価格から得られる正当な利益」そのものを減額しなければならないということだ。
 これは制度上定められた利益を薬局側は保てないことになる。
 また、この場合、薬局側としては、後決済でかつ手数料分負担しても経営が揺らがないほどの資金力が大きい薬局の方が有利ということになる。

 これでは「公定価格により平等性を保つ」という制度目的自体に反していることになるのではないだろうか。

 結局、どれだけ言いつくろおうが、「現金以外での支払手段」を可能とした時点で、厚労省の主張そのものが揺らぐ事態となってしまった。
 それが今回の問題の本質なのではないだろうか。

都合よく民意を使い分けるのはやめよう2012年01月12日 18時24分09秒

橋下市長、原発住民投票署名「住民投票は疑問」
産経新聞 1月10日(火)14時55分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120110-00000552-san-pol

原発住民投票、署名集まる…橋下市長は否定的
読売新聞 1月10日(火)12時3分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120110-00000279-yom-soci

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 本当に民意がどこにあるのか確認するのは、首長としての義務ではないだろうか?

 橋下市長は、自分に都合のよい結果を出すために「民意を問う」と言い続けてきた以上、今回の件も、本来は「民意を問うべき」だ。

 そもそも「自分と同じ方向性」であるなら、民意の表明が得られる事は自分にとって確実な利益であり、たとえ費用がかかったとしても、それは橋下市長の責ではなく、住民投票を要求した市民全体の責でしかない。

 つまり本当に「民意と一致」しているのであれば、何も問題はない。

 それなのに、今回、橋下市長は「民意に反し」住民投票に否定的である。

 これは、いかなる理由によるものだろうか。

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 私は「原発容認」という結論が出る可能性があるからだと考えている。

 単に原発反対を声高に言う人もいるが、現実問題として「現行の原発による電気供給が減少しても、大阪府下、大阪市下の経済に対する影響はまったくない」という事はありえない。

 そのため、経済活動を主体としている「法人」(企業)およびその従業員が多く存在する大阪市においては、「そうはいっても経済活動上、電気は必要である。緩やかなエネルギー政策の転換は認めるが、代替案無き廃止の方向は遠慮する」という意見も、また多く存在する。


 実際、佐賀の九州電力問題にしても、やらせメールを除いた数値で言えば

 総数:308通 賛成:145通 反対:163通
 賛成:47.1% 反対:52.9%

 と拮抗している。

<自記事:それでも再稼動「賛成」が4割いるという事実 (九州電力問題-3) ― 2011年07月31日 11時46分32秒>
http://kusuriyasan.asablo.jp/blog/2011/07/31/5998249

 当時の、ヒステリックな状況ですら拮抗状態である以上、現状でも勝敗は5分5分と考えた方がいい。

 このような状況下で、仮に住民投票を行った場合、たとえ買ったとしても「僅差」であれば、「圧倒的に民意を得ている」などと主張できなくなるし、ましてや負けてしまえば「民意は橋下市長には無い」という事になり、進退問題にも関わってくる。

 これを橋下市長は恐れているのだろう。
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 橋下市長は公務員批判や都構想という夢物語を打ち上げ、「小泉元首相の郵政民営化総選挙」と同じ構造を作り上げ、「民意は我に在り」というメッセージで勝利した。

 そのため今の橋下市長にとっては、「自分と民意が必ずしも一致しているとは限らない」という事実が表面化してしまうのが、一番のダメージになる。

 だから「民意が明らかになる」住民投票は「避けたい」というのが、橋下市長の本音だろう。

 だが、ここで住民投票から逃げ出してしまえば、それは「選挙前の姿勢・言動」と明らかに方向性が違う事を広く示してしまう。

 そうなれば、狂乱に沸く府民・市民はともかく、冷静に判断をし始めた人からすれば「橋下市長のメッキがはがれ始めた」と判断する事にも繋がるだろう。

 結局、市民が「民意」として住民投票を請求してしまった事が、「民意」を煽り立てる事によって勝利した橋下市長の足を自ら引っ張る結果となりつつある。

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 民意を煽った結果、誕生した橋下市長が、その民意によって苦しむ事になるというのは、なんとも皮肉な話だ。

 「郵政民営化の時の小泉首相」の二の舞で終わるかどうか、それが今後の見所だろう。


 また、大阪市民にとっても、一つの正念場だ。

 「住民が要望している」のに「住民投票に応じない」市長を、「市民の権利」として最後まで要望し続けられるかどうか、
 それが、大阪市民が単なる狂乱で選んだだけなのか、真に「市民として市政参加を考えている」のかどうかが問われている事になるのだから。
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