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「柚子湯」ならぬ柚子の「残り湯」2010年12月23日 05時14分48秒

昨日は冬至。いわゆる柚子湯の日。

大のお風呂、温泉好きな自分としては欠かせないイベントだ。

 美浜のスーパー銭湯湯快爽快「湯けむり横丁」で柚子湯をやっているという事なので行ってみた。
http://www.yukaisoukai.com/mih/index.html

 深夜1時ごろに入館。3時までやっているので、色々な風呂を幾つかの風呂に入ってはうたたね湯で休むといういつものパターンでまったり過ごすことに。

 さて今回、露天が柚子湯になっていたのだが、運良く天気もよく雲ひとつ無い夜空の下で、十六夜の月と満点の星を眺めつつ気持ちよく過ごす事ができた。

 とはいっても時間も時間なので、袋の中で柚子はすでにふやけまくりふにゃふにゃの状態に。
 それでも柚子は柚子なので、香りもそれなりに堪能でき過ごす事ができたので、まあ満足といってもいいだろう。

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 だが、無視できない問題が、その後に発生した。

 営業時間は深夜3時までとはいえ、一応クロージングもあるのでできるところは早めに片付けにかかるというのは仕方のないことなのだが、この銭湯、よりにもよって「柚子」を1時40分の段階で引き上げてしまったのだ。

 なんだそんなこと、と思うかもしれないが、私から見れば、はっきりいって非常に問題のある行動だ。

 なぜならこの行動によって、ユカイ痛快は『2時以降のお客を差別しても構わない』『2時以降に来るようなお客には、「柚子湯」と詠いながら「柚子湯」ではなく「柚子もどき湯」「柚子の残り湯」を提供して、低く扱っても構わない』と考えているのだと、示してしまっているからだ。
 おそらく店側に尋ねれば、「そんなつもりはない」「つい」というかもしれないが、もし「無意識にやってしまった」というならば、それはより深い問題が隠れている事を自覚すべきだろう。
 なぜなら、無意識にやっているという事は、差別しても「当然」という考えがすでに無意識のレベルまでここでは根付いてしまっているということなのだから。

 実際、リニューアルしてから湯快爽快「湯けむり横丁」はサービスが劣化したと私は思っている。
 特にその劣化具合は、提供される飲食物に如実に現われていると思う。

 というのも、ここで提供されるドリンク類いわゆる自動販売機なのだが、これが今は「外部より高く」設定されているからだ。

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 元々この施設、リニューアル前は「外部と内部の値段が同じ」だった。しかしそれが「入館制」という制度にリニューアルした後は「外部よりも高く設定」されてしまった。
 ここに、この店舗が姑息なサービスに走ってしまったのが見て取れる。

 入館制にした結果、このスーパー銭湯を利用する場合(銭湯以外の憩いの施設を使う場合でも)一旦入館したら外部に出ることは基本できなくなってしまった。そのため、一旦この館内に入った人は「館内で提供される飲食物」しか購入できなくなっている。そしてここで、日本のホテルや遊園地また球場などでよく見られる手法、客の選択肢を奪いつつ「外部より高い値段」で商品を提供するという手法に切り替えてしまったのだ。
 確かにこの場合、選択肢が無い客は「その値段でしか手に入らない」以上、いくら不満があっても購入するしかなくなるので、店舗側としては自由に高利益を手に入れる事ができる。お店側にとっては都合のよい制度に見える。

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 しかし、この手法は「満足度を与える」サービス業においては、本来「悪手」とされている。
 なぜなら、この手法は客に「店側の都合で不便を強いて」から「その不便を元にして大きな利益を誘導している」からだ。
 本来、サービス業は客に「満足を与える」事により利益を得るのが原則なのだが、この手法は客に「不便を与える」事から利益を発生させている。
 つまりサービス業の原理に反したスタイルなのだ。

 この手法を取っている限り、いずれ客の不満は蓄積しリピートしなくなってしまうだろう。なぜなら先に書いたとおり、この手法は「満足」を与えているが、同時に「不満」も客に与えているからだ。

 そもそも客として見れば、わざわざ「不満」を与えられる場所に行く必要があるだろうか?
 確かに「満足を得る」ためにはそこへ行かなければならないが、仮に「同種の満足を得られる」施設ができた場合、「不満と満足」両方が与えられる施設と「満足」のみが与えられる施設、客はどちらを選択するだろうか。
 当然「満足のみを与えられる」施設、または「不満がより小さい施設」という事は想像できるだろう。

 実際、これが日本国内の観光地や遊園地、球場、ホテルなどが衰退していった理由の一つとされている。
 海外旅行や他の娯楽が増えた時に「不満を与えていた」施設から、客がどんどん逃げていってしまったのだ。
 今ではこれを反省し、「外部で手に入る物」は「外部と同額で」提供しているサービス業が多くなっているのもよく見られるところだ。

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 多少ブームは去ったとはいえ、スーパー銭湯は今もでき続けている。同業他社が増える中で少しでも利益をあげたいという意識はわからなくもない。
 だが「客に不便を与える」事によって高利益をあげようと考えるのであれば、結局、他のスーパー銭湯へと客は逃げていく事になるだろう。
 その結果、さらに利益を上げるために「残った客単価」をあげようと値上げをする。また、コストを削減するためにサービスへの意識が低下する。そして客がさらに逃げる。
 このような衰退へのスパイラルへと、今、湯快爽快「湯けむり横丁」は入りはじめているのではないだろうか。
 
 たとえ深夜だとはいえ、「柚子の入っていない湯」を「柚子湯」などといって提供してしまうほど意識が低くなっているところを見ると、そのように思わざるを得ない。

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 実際、リニューアルしてから、私自身「更に」行く回数が減っている。
 その前に、コーヒー牛乳を「対面販売から自販機販売に切り替える」などした時点から「サービスの劣化」は意識していたが、更に劣化が激しくなりつつあるのが行く度にわかる。

 確かに人件費の削減は当然必要だと思うが、何のためにドリンクを提供しているのか?とか、コーヒー牛乳などを提供する時、必要な演出とは何か?などをまったく理解していないのがよく判る。
 店舗をレトロ調にしているだけでレトロ調の満足が与えられる、などと考えているのだとしたら勘違いも甚だしいところだろう。

 湯快爽快は「サービスのあり方」を見直した方がいいと思う。

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 さて、今まで湯けむり横丁を使っていたけど、自分の中で今日の一件でさらに意識が離れていってしまった。夜の3時までやっているというのが一番の魅力だったのだけど、それ以外の魅力が薄れてきた気がする。
 そろそろ他の銭湯を試した方がいいのかもしれない。

 ただ、全体にどこのスーパー銭湯も高値設定しているようにしか見えないのがつらいところだ。
 確かに初期投資や設備費が普通よりかかるのはわかるが、それでもこの手の高値設定をしていたら、いずれ客が去っていくのは目に見えるのだが。

 なぜ観光地・温泉街が衰退したのか、なぜリピーターがいないのか。それを正しく研究していれば、こんな手法を取ることなどないはずなのだが、どうしてこうも裏目な手法を取るのだろう。
 「リピーターの確保」という基本を理解していないのは問題なのだが。

「がんばります」に意味は無い 22010年01月12日 19時23分10秒

さて、ここからは行政書士としてのお話。

 11月に倫理研修というのを千葉会で行ったのだが、ここでもこのような話を実際に講師がされていた。

 新人が仕事をしたがるあまり、判断を誤り「できます」と安請け合いしてしまうが、実際には十分にできなくてクレームが発生する場合のことだ。

 ただし、講師はこの話を「倫理」(『誠実』に業務を行う義務)として説明していた(時間が短かったという事もあるだろうが)。
 大雑把に言えば、「仕事を頑張ったから評価してほしい・仕事をやりますといって結局できない、というのは意味がない」というような内容だ。

 私自身、内容には大きく同意するのだが、これを「倫理」としてだけ説明してしまったのではちょっと足りないのではないか、とも考えている。
 ただ単に「倫理」とだけ説明してしまうと、「精神的なもの」ととらえて「努力した方がいい」「品位として守った方がいい」という風に、受講者としてはとらえかねない危険がある。実際、受講者の中にもちらほらと「主に品位を守るために必要な問題」として、倫理的にとらえているふしが見られた気がした。

 確かに「倫理」(『誠実』に業務を行う義務)としての側面も大きい。だが、それだけでなく「企業努力(事業努力)」としての顧客満足の問題として『も』教えた方が良かったのではないだろうか。
 行政書士だから「社会的に高品位を保つ」義務があるとは思う。
 だが「高品位を保つ」理由を「社会的意義」等のみに求め「精神論・倫理」を要求したとしてもどれだけの人が付いてくるだろうか。
「社会的意義」だけで「食い詰めている」先生達が従ってくれるだろうか?
 結局「そうは言っても仕事がなければ意味がない」となるのではないだろうか。

 ところが、この話を「経営論」として「顧客満足」の面からも進めていけば、どうなるだろう。
 「仕事を受けたとしても次に繋がらない。自分の健全経営が成り立たなくなる」と、なれば「今、仕事を受けたとしても意味がない」という理由で、倫理面だけでなく経営面からも抑制をかけられるのではないだろうか。

 私の中では、このような考え方が湧き上がっている。

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 どんな企業も「業」として「経済的利益を求める」事が前提だ。
 これは「法律隣接職」である私達も同じだろう。
 個人事業者であっても「事業者」である事は変わりがない。

 確かに「高品位」のサービスを提供することが、社会的に求められていたとしても「事業者として」成り立っていなければ意味がないだろう。

 そういう意味では、私達法律サービスであっても「経営」としての考え方が必要だと思う。

 実際、行政書士会で問題となっているクレームの多くは「健全経営のための手法」という観点からすれば、自然と「否定される」内容がほとんどだ。
 本来、「事業者として」の経営原理が頭に入っていれば、当然に『発生しない・回避される』ような問題がほとんどだ。

 ところがこれが何度も発生している。

 この原因の一つは、これを「倫理的な問題」としてしかとらえていない事にあると思う。
 会でも、綱紀等で問題を取り上げ対処するだけで根本的な「経営問題」としては誰も対策を考えていないように思われる。

 「高潔な倫理があればこのような問題は起きない」、という視点だけで考え「ならば高い倫理観が持てるように研修すべきだ」と短絡的にとらえているようにしか見えないのだ。
(そのための「倫理研修」という感じだし)

 確かに「高い倫理観」は必要だと思う。

 だがそれは、行政書士事務所として「健全・適切な経営」がなされていることが前提だと思う。

 私達は霞を食って生きているわけではないし、
「衣食足りて礼節を知る」の言葉どおり、逆に言えば「衣食が足りなければ礼節など意味がない」のだから。

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「健全に事業経営をする意識」が根底にあり、その上で「通常人より高い倫理観」を持つ。

 これが、本来、私達法律サービス業の「あるべき姿」だと思う。

「がんばります」に意味は無い 12010年01月12日 19時19分28秒

 先日、興味深い事があった。

 パスタ屋で早めの昼食を取っていたのだが、時間は12時をまわり、徐々に店内が込み始めた。

 そこに二人組みのサラリーマンが来店し店員に席を提示されたのだが、サラリーマンが席に向かっていくと、実はその席がすでに他の客が使われている事がわかった。

 セルフサービス式のドリンクバーがあるので、その席にはお客がいなくてハンカチだけが荷物代わりにおかれていた。入り口からはハンカチが見えなかったので「空席」と店員は思ったらしい。
 店側としてはテーブルコントロールを始めたばかりで、空席と使用中の席が混在していて、完全に管理できていなかったようだ。

 実際、紹介された席は詰まっていたが、カウンター席や反対側の方にはまだまだ空いているテーブル席も有る状態だ。

 さて、ここで席を使われている事を判ったお客はどうしただろうか?
 他の席に移ったのだろうか?

 答えは「食べるのをやめて出て行った」だった。

 ちょっとずらせば十分に座って食事ができるのに「紹介された席が実は使われていた」という事だけで『その店で食事をする』意欲を失ったのだ。

 これを『短気な客だ』と思うのは簡単だろう。
 だが私はこの時、ある「顧客満足論」を思い出した。

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 顧客の満足についての評価度合いは、

 事前に「このように達成してもらえるだろう」という期待が、実際に提供された製品・サービスによって「どのように達成され充足されたか」という事との、差によって決まるという話だ。

 今回の話で言えば、
「店舗側から席を提供された」時点で、そのお客は「指定された席に座って食事ができる」
という事前期待が発生する。ところが行ってみれば、その席はすでに使用されているために、事前期待が達成されることが不可能になってしまっている。

 この時点で、顧客は不満が発生する事になる。

(許可)>『事前期待』>現実の否定>『期待不達成(裏切り)による不満』

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 ここで「じゃあ違う席を提供すればいいじゃないか」という事を安易に考えるかもしれない。

 だが「代替案」が「最初の事前期待」を満たすものでしかなければ、「品質的に同じ」モノを提供し『最初の事前期待』を達成できたとしても「裏切られた」という事実・意識自体を払拭する事はできない。
 『事前期待』と『サービス・製品』が等価関係、一対の関係である以上、『事前期待』+『不達成による不満(負の期待)』を満たすには、『サービス・製品』だけでなく+aが必要になるということだ。


(許可)>『事前期待』>現実の否定>『期待不達成(裏切り)による不満』

(同一サービスの提供)>『事前期待』部分の達成
        『期待不達成による不満』は残る。

※「事前期待」と「サービス・製品提供」が一対の関係
 『期待不達成による不満』と一対の関係を別途構築する必要がある。

 結局、このお客は「代替案」を提示される前に去っていったのだが、「事前期待」と「現実の不達成」との問題をよく表している一件だろう。

オマエの店舗は何が「コンビニエンス」なんだ?2009年08月24日 23時37分28秒

「24時間営業を強要」と提訴=セブンイレブン加盟店主ら-東京地裁
8月24日20時36分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090824-00000228-jij-soci

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もう何だろね?

 いいよ、この手のバカ店舗は公共料金の収納代行も24時間営業もいらない。
 言うとおりにしてあげようよ。

 ただしその代わり「他の店舗とは違う看板を掲げる」って事で。

 横線を一本減らすなり看板の7の色を黄色にするなり「サービス低グレード店舗」としてお客にわかるようにしよう。
 それで、好きなように営業させてあげよう。

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 こう書くと「差別」と言うバカがいるかもしれないけど、「他の店舗」が提供しているサービスを提供しない以上、他の店舗と同じ「看板」で営業することの方が、認められない。

 だってそれは、お客に対しての「不当表示」になるから。

 セブンイレブンのお客は「商品購入のため」だけに来る客だけじゃない。24時間営業・公共料金収集代行業・宅配便取扱い業者等「様々なサービスが提供される事」を期待して来るお客も含まれている。

 ならば、これらサービスを提供しないなら「非提供業者」である事を、事前に判るように表示する義務がある。

 これを「同じ看板」で営業した場合、逆に「お客に対し不利益」を与える事になるだろう。

 だから「サービス提供店舗」と「サービス非提供店舗」が区別できるようにしないといけない。

 これを差別だと考えるようでは、「お客に対する表示」責任を理解していない人間だ。
 「ウチはやっていません。でも、他の店舗がやっているので、そのサービスを期待する客が釣れるように、他の店舗と同じ看板は掲げます」
 というのが「正しい営業方法」「弱者の知恵」だとでもいうのだろうか。


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「メンドイ仕事はやりたくない、売れ筋の商品だけ置かせてくれればいいんだ」

 はっきり言って、これが訴訟を起こした店舗のホンネだろう。

 ならば「商品販売以外のサービスを提供しないお店」と言う事を表示した上で、営業させてあげればいいと思う。

 それで、自分達の店舗に「コンビニとしての価値」があると思うなら、やらせてあげればいいと思う。

もう、面倒な仕事の「宅配業務・ATM管理・収納代行」やめさせてあげよう。
「商品販売だけで集客が図れる」って言っているんだから、やらせてあげればいいじゃないか。

 それで潰れれば、それは潰れたオーナーの責任だから。

まあ、そうなれば今度は「売れ筋商品を置くだけで売れるようにしない、本部が悪い」とでもいうのだろうが。

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 コンビニとは何か?
 を理解していない店舗は、コンビニをやめさせてあげよう。
 それでいいよ。

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「本部が強要するのが悪い」

と、すぐ「大企業に噛み付くのがカッコいい」と思って言い出すバカが出てくるかもしれないが、

じゃあ「収納代行と24時間営業」
これを捨てた時に、その店舗に、「コンビニとして」何の魅力があるのか?

それをきちんと考えて欲しい。

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もうなんだろう。あまりにもバカらしくて、まともな言葉で書く気も起きないよ。

「深夜は不便」に戻ればいい (コンビニ論)2009年07月29日 12時03分26秒

コンビニ1店の食品廃棄、1日12キロにも
7月29日3時23分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090728-00001246-yom-bus_all

コンビニの話。

 相変わらず、もったいないだの、安く売ればいいじゃないかだの、多く作るのが悪いだの、自分達を棚に上げて「コンビニ批判」する人が多すぎる。

 はっきり言おう。
 これは加盟店のせいでも本部のせいでもない。
「消費者のせい」で発生しているのだ。

 見切り販売にしろ廃棄処分にしろ、売れ残りが発生する原因は「正規時間中に売りさばける量」以上の在庫を抱えているからだ。

 では、なぜ「正規時間中にさばける量」以上、店舗側は在庫を抱える必要があるのだろうか。
 これを「本部が押し付けてくるからだ」と本部のせいにする馬鹿もいるが、じゃあ本部はなぜ要請するのか。ここをきちんと考える必要がある。
 (ここでも「本部が得するためだよ」と根本理由を考えずに安易に本部批判に走る馬鹿は論外)

 それは、「棚に無い状態」を『客が許さない』からだ。

 コンビニが一番望まれている事は、スーパーと同じような多様な品揃えでもスーパーのような大量・低廉な商品を期待しているのでもない。
「必要になった時に存在している事」(常備による利便性)だ。

 だから「いつ来ても大丈夫なよう」に、在庫を多めに抱える必要がある。さばける量以上、ぎりぎりの数を常備しておく必要がある。

 結局、客が「常備性を望む」から「在庫切れを起こせない」>「過剰在庫を抱えないといけない」>期限切れ商品が発生する。
 という流れなのだ。

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 今の時代、この「正規販売以上の在庫を抱える」事自体が問題だと批判するのはいいだろう。

 じゃあ解決方法はというと、これは至極簡単。

「常備による利便性」の追求 が 根源である以上、
「常備による利便性」の放棄 で すべて解決する。

 つまり「コンビニエンス」(開いてて良かった、あってよかった)を客側が放棄すればいい。

 ところが、自分達は「常備による利便性」を放棄するのは嫌。
 それでいながら「過剰在庫はおかしい」と批判。
 自分達が「過剰在庫させている」のに「過剰在庫はおかしい」とお店・本部を批判。

 あげくには「自分達の都合のいい」ように「安く売ればいいじゃない」と、お門違いな意見を述べまくる。

 あまりにも消費者側が無知無能・馬鹿になりすぎているとは思わないだろうか。

 エコだなんだ綺麗事をいう人が多い。
 確かにエコは大事だろう。過剰在庫を抱える状況はおかしいだろう。

 ならば「開いてて良かった、あってよかった」を一部放棄すればいい。
 24時間営業でなく、「閉まっている時間。無い時間」を作ればいい。
「深夜は不便」の時代に戻ればいい。
「不便な時間を我慢」すればいい。

 ただ、それだけの話だ。

 何度も言うが、これはコンビニ側の問題ではない、使う消費者側の問題だ。

 それを認めないでコンビニ店をコンビニ本部を批判する。
 どこまで消費者は馬鹿になれば気が済むのだろう。
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