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きれいな景色は人を幸せにさせる2009年04月09日 22時05分24秒

近場、香澄公園の桜
近場、香澄公園の桜の写真

 新聞報道しか見てないので、詳しい事は今ひとつだけど、とりあえずまとめてみよう。
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相模湾望む別荘地「良好な眺望」保護、隣人の新築差し止め命令
4月9日14時36分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090409-00000605-yom-soci

 眺望権というと意味が解りづらいかもしれないが、いわゆる幸福追求権の一種。
 簡単にいえば、人は「風光明媚な眺望を望む」権利がある、という話。

 こういうと、わがままに聞こえるかも知れないが、これは商業的に言えば十分保護されるに値する権利だと思う。

 例えば、レストランやホテルなどで「風光明媚」な景色を売りとしている場合、この目の前に意味も無く勝手にゴミ捨て場などを作られてしまっては、そのレストランやホテルなどの「眺望を元にした」商業的価値(経済的価値)が激減する。
 また「良い眺望」が無くなる訳だから、間接的に顧客にも被害が生じる。

 そのため、もしこのようなモノを作られそうになった場合は、レストランやホテルなどは「ゴミ捨て場などを作られないように」積極的に反対するのが普通だ。

 このような場合、実際には「ゴミ捨て場をそこに作らなくてはならない理由(公共的利益)」と「眺望を維持する事により、利用者にとっての景観を楽しむ利益・ホテル等の利益」との比較衡量によって決められる事になる。

 この辺り、なんとなく理解できるのではないだろうか。

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 ところで、この手の話は「一般的な住宅」では、ほとんど認められていない。
 なぜなら、一般家庭にまで眺望権を認めると「新しい建物がほとんど建てられなくなる」という事になるからだ。
(建つたびに遠くの家まで景観を気にしなければいけなくなる。これでは今ある高層マンションなど殆どが禁止されてしまうだろう)

 まあ私も、本来、一般住宅は、景観を楽しむ事よりも生活拠点としての役割が主たる目的だから、眺望権まであまりこだわる必要は無いだろうという結論になっている。
 一方で、日照権や騒音に対する権利などは「生活拠点としての意義(価値)を激減させるような問題」なので、肯定的に認めた方がよいとも思っているが。

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 じゃあ、今回はなぜ建設差し止めが認められたのか?

 これは、この建物が両方とも(既存も新築も)「別荘」だったからだと思う。

 別荘は基本的に「日常生活をする場所」でなく「余暇をすごすための場所」として建てられるのが基本だ。このような場所においては、一般的な住宅としての視点だけでなく、精神的価値などを求める「幸福追求権」の視点が適応させるのは当然の思考だと思う。

 また、別荘においては「風光明媚」は資産価値として大きな要素を持っている。
 いい眺望かどうか?というだけで資産価値は大きく変動する。

 さらに今回の場合は、既存の別荘の「眺望」を、新築別荘の「眺望」として奪い去る(侵害する)状況になっている。

 結局、今回の話をまとめると、

・どちらの別荘も、基本は「眺望権」を双方で取り合っている問題。
(眺望権と日照権の問題など「異なる権利」の問題ではない)

・平穏無事に30年以上も既存取得している人から、新たな人が正当な理由も無く強引に奪い去るという状況。

 という事。
 ならば、論理としては「既存の権利を優先的に保護すべし」という結論になるのは妥当だと思う。

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 ただ今回、眺望権が認められたからと言って、これから「眺望権が必ず認められる」と考えるのは早計だとも思う。
 眺望権は精神的利益に基づく権利でしかない。その他の権利との関係で言えば、日照権や環境権などの「平穏無事に生活する権利」の方が優先されるべき権利だろう。
 そのような意味で言えば、「精神的付加価値」を高めるために求める事ができる権利でしかない眺望権は、その他の権利と比べれば「後回し」にされる権利だと考えた方がいいだろう。

 だから、安易に「眺望権があるんだ!!」とみだりに「自分の眺望だけに固執」して騒ぎ立てるような事は控えるべきだと思う。

75のボケ老人はただの老害2009年04月10日 23時50分20秒

対局中の羽生名人に記者がサイン求める 厳重注意
4月10日21時26分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090410-00000641-san-soci

え~と、何を考えているのか全く判りません。

 こんな記者を委託するなんて、言っちゃ悪いが、朝日は真面目に取材する気が無いんじゃないだろうか。

>「郷田さんの手番だと思っていた。うかつだった」と釈明した
 という事だけど、論外。

 相手がどう指すか自分はどう返すかなど、自分の手番じゃなくても何手も可能性を読み続けるのが棋士。気楽に見えても頭の中ではひたすらシミュレートしている。なのにそれをぶち壊す行為。

 よく読むと、この記者、観戦記を書いたりと将棋記者暦もなかなかのものらしい。
 
……で、この行為。

 言っちゃ悪いが、ボケ老人じゃないのか?

 まあ、無事羽生名人が勝ったからいいものの、これで負けていたら朝日新聞は何をいわれても文句は言えないと思う。
 (というか、郷田九段が「あれで緊張の糸が切れた。だから負けた」とでも言ったら、どう責任を取るつもりなんだろう?)

 とにかく、羽生名人も「知人」だから苦笑しながらその場で応じたようだけど、どう考えても「知人」というより「痴人」だよね、これって。

強引なトップダウンによる弊害2009年04月12日 23時54分07秒

<秋田知事選>前秋田市長の佐竹敬久氏が当選確実
4月12日21時31分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090412-00000598-yom-pol

 自分の所の知事選が終わった後、地方自治については完全にノーマークでした。(苦笑)

 でとりあえず、ざっと読んだのですが、まあ一言で言えば表題の通り。

 勝ち負けよりももっと重要な問題が発生しているように思える。
 はっきり言って、「小沢体制支持」を頑迷に主張する(タイコ持ち)上層部と各現場との間で、乖離が明確になってきていないか?
 非常に組織としてはまずい体制になってきていると思うのだが。
 もう単に「小沢を降ろせばいい」というレベルの話じゃなくなってきているように思える。
 これで総選挙で勝てなければ、「本部」対「地方」という形で分裂騒ぎがおきるんじゃなだろうか。
  (というか、勝っても(理想だけの)「本部」対(現実に目を向けた)「地方」という形ですぐに亀裂が走ると思うのだが)

 実際、
>佐竹敬久氏(前秋田市長) 自民県連、社民県連支持、連合秋田推薦
>川口博氏(前小坂町長氏) 民主県連、国民新県支部支持

というように、民主党支持候補と、支持母体である「連合」および協力政党である社民支持候補が分かれている時点で、非常に問題がある。

 はっきり言って、なんでこの候補(川口氏)を民主党が擁立したのか全く解らない。
 少なくとも、地元では「自民」だけでなく「社民・連合」が乗っかってきている以上、知名度うんぬんだけでなく「地元での政治的信頼度」も佐竹氏の方が十分高かったはずだ。
 なら、なぜここで対立候補を立てる必要があるのだろう。


 政治戦略的に考えれば、明らかに今回の民主党の考え方は間違っていると思う。
 戦略的に見れば「必要の無い対立候補」「必要の無い対立選挙」でしかない。

 民主党は「必要の無い負け戦に挑んだ」この一言につきるだろう。

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 前にも書いたが「県政」は「国政」とは違う。
 佐竹氏が「民主の言う事をきかないから」とか「自民からも推薦を受けているから」という理由なら、それは理由にはならない。
 どの党から他に推薦を受けていようが、大切な事は「その地方自治体の長として」活動できるかどうかだ。国政での勢力争いとはまったく関係がない。
 にも関わらず、国政での勢力争いを持ち込んだとしたら、それは明らかに「民主党は地方自治制度を国政の下においている」としかいえないだろう。

 どうも、今の民主党の考え方は「中央集権体制を確立」したがっているようにしか見えない。

 これでは、霞ヶ関主導型の「中央集権体制」が民主党主導型の「中央集権体制」に変わるだけ。単なる「トップの派閥争い」にしかならないだろう。

 最近の橋下発言(ぼったくり発言)のように「地方」に「国の統一ルール」を「トップダウンで持ち込むこと」が問題になっている。首長達(地方自治体)が国政(国家行政)に対し、徐々に反旗を翻し始めている。
 そしてこの反旗は、その地域に住む住民にとっても「地域の事を考えている」以上、基本的には肯定されている。

 地方自治体は、霞ヶ関の中央集権体制を終了させ地域・現場における「分権体制」への移行を望みつつある。

「大きな事は国政で、現場の事は地方で」

 行政体制においても、このような考え方を望みつつ、現場が霞ヶ関との分権体制への移行を望みつつある。

 この実情にも関わらず、「地方選挙での勝利」を元に「国政での勝利」にこだわる。
 「国政のために地方政治がある」と思っている。
 そのような民主党(上層部)の考え方こそが、今、一番の問題ではないだろうか。

 民主党は嫌いではない。
 だが、トップダウンですべての指示が来る、今の民主党はどうしても信用できない。
 いつも同じような事を書いているが、これが私の基本的な考え方だ。

※県連で決めているという話もあるが、トップダウンで「これをやるように」という指示が来て、その「方法」だけを下が決めている。それが今の状況だ。これでは官僚組織やワンマン企業体制と同じでしかない。それぞれ「政治を志向する人たちが集まって」作ったはずの民主党のあり方・理念からもう一度見直してみるべきではないだろうか。


 ……まあ、この状況下で4:6まで持ち込めただけ「民主の底力」はあると思っていいのだろうが。

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 小沢辞任云々だけの話じゃない。
 「地方と国」・「地方組織と党本部組織」そのもののあり方から見直さないと、はっきり言ってもっと悲惨な事になると思う。

 これは、「国政で勝つ負ける」の話じゃない。
 だから「国政での勝ち負け」で小沢続投・辞任を語るのも止めて欲しいと思う。

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ところで、森田健作の「自民党裏所属論」が色々取りざたされているが、馬鹿らしいと思う。

はっきり言って、

あの人が「自民党じゃない」と思っている人の方が少ないんじゃないか?

 っていうか、「自民党推薦」じゃないとしても、森田健作が「党本部とは繋がっていな」くても「県・地方レベル」では密接っていうのは、過去の選挙を見れば全員知っていたんじゃないのか?

 元々、石原東京都知事ともそれなりに仲良かったし、国会議員時代の時や前の千葉知事選からみても、政策見ても、森田知事が「自民よりじゃない」っていう発想をもてる人の方が、頭がおかしいと思うんだが。

 後、リニアについて文句を言っている人は、やっぱり頭がおかしいと思う。

 あれは完全な「スローガン」というか「民衆の意欲向上」のための『夢物語』でしょう。

 「本気で作れる」と思っているのであれば、それは人としてどうかと思うんだが。

(ちなみにアクア800円構想は可能だと思う。もし不可能でも、現状の「休日1000円状態」を平日にまで広げて、後、トラック等商業車にも拡大。で今後、恒久化する事まではおそらくできると思う。)

地方を駒扱いして切捨てるのか!!2009年04月13日 23時55分43秒

秋田敗北、小沢氏の責任否定=国民との直接対話進言-民主幹事長
4月13日22時46分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090413-00000171-jij-pol

<秋田県知事選>民主に動揺広がる 自民は自信深める
4月13日22時47分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090413-00000140-mai-pol

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>民主党の鳩山由紀夫幹事長は13日午後、秋田県知事選で県連が支持した候補が敗れたことについて「党本部には推薦、応援の依頼がなかった。代表の責任にはならない」と述べ、小沢一郎代表の責任を否定した。
 鳩山氏はまた、「社民党と連合があちら(当選した候補)につき、民主党の支持者も2つに分かれた」と敗因を分析した。都内で記者団に語った。
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「勝手に県連が暴走した事で私達には責任はございません。
 二つに分かれたのも、県が勝手にやったことなので、党本部で何も指導しませんし、責任は取りません」

 ……馬鹿じゃないのか? 鳩山は。
 ここまで鳥頭だとは思わなかった。

 民主党が独自候補を立てた。もしたとえコレが県連が勝手にやったことだとしても(実際には「独自候補を立てるように」っていうような指示が出ていたと思うが)、何ら制止する事もなくやらせていたのは「党本部」。ならば党本部にも責任があるだろう!!
 なのに、負けたら「それは党本部の責任ではございません。すべて県連が勝手にやったことです」と切り捨てる。
 何があろうと、失敗すれば「その地方の責任」。成功すれば「党本部(民主党全体の勝利)のおかげ」
 地方を「単なる駒」としてしか見ず、上層部としての責任も取らない。
 こんな事をして、今後、他の地方も黙って付いてくるなどと思うのだろうか?

 今、組織としてもっとも大切にしなければいけないのは、自分達のために共に戦ってくれる「兵」、末端の各党員なのに、それを負けた時は容赦なく切り捨て。

 都合のいいときだけ出てきて戦果は自分の物。危なくなると最初に逃げ出す指揮官。
 こんな指揮官の下で、組織が育つわけがない。

 昨日の記事(強引なトップダウンによる弊害)でも書いたが、この発言で完全に「地方」と「小沢タイコ持ち軍団」との間に精神的な溝ができたと言っていいだろう。

 この状況下で上層部を信じて付いてくるような人間はいない。いるとしたら、「自分も利権が貰える」という事で繋がっている人間だけだ。

 民主党は、このままだと完全に空中分解する事になるだろう。

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 今回のような対応、たぶん党本部は、名古屋市長選挙でも同じ事をすると思う。

 勝てば「河村さんは議員自体から党本部でも目をかけていた民主党員。今回の勝利こそ国民が民主党を望んでいる証拠だ」と「民主党の力・民主党の勝利」として、負ければ「河村さんは民主党でも問題児だった。彼の敗北は彼のせいであり、民主党の責任ではない」と逃げを打つ。

 今の状況だと、この形での公式発言が出てくると思う。

 だがおそらく、コレをやったら完全に終わり。今日できた溝どころか完全に地方と党本部が分裂。地方同士でも「利権を求め擦り寄るもの」と「使い捨ては御免」と造反するものに分かれ始める。党内部でも「小沢に擦り寄るもの」「小沢達に使い捨てられる組織にはいられない」と造反するものの真っ二つに分かれるだろう。
 そして、表面には問題が出てこなくても、組織としては「終わる」だろう。

 はっきり言って、今の上層部(小沢とタイコ持ちは鳩山・管)の3人を早めに排除しなければ「政権交代」云々どころではなく、民主党そのものが瓦解する。
 民主党内部から、今回の鳩山発言をはっきり「批判する」人が出てくる事を望みたい。

ジャーナリスト=「自分の言葉に責任を持たない人」2009年04月15日 19時22分41秒

「言論、表現認めず不当」=調書漏えいで草薙厚子さん
4月15日17時33分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090415-00000091-jij-soci

はっきり言おう。
「有罪なのは、お前(草薙)のせいだ!!」

 前回(二度とジャーナリストには戻れない・戻さない ― 2009-01-14 http://kusuriyasan.asablo.jp/blog/2009/01/14/4057100) でも書いたが、今回の一件で一番問題なのは草薙厚子。

 彼が有罪となった原因は、「有罪にした」裁判官ではなく「有罪となる証拠」を提出した(証言した)草薙厚子にある。
 草薙が「記者として」情報源を守るという当たり前の事を放棄し、「自分の協力者」を守ろうとせずに「自分の保身」を図って証言した結果だ。

 記者として絶対に守りぬかなければいけない「情報源の秘匿」を簡単に放り出しておきながら、「自分は正しい事をした」・「裁判官が悪い」などと平気で言う。

 これが日本のジャーナリズムなのだろうか?
 守るべき「言論」を守らず、「自分の保身」を守る。それが、日本のジャーナリズムなのだろうか?

 自分が「自分の言葉」を述べるのであれば、その「言葉」はまず自らが死守すべきだ。
 他人が勝手に「自分の言葉」を守ってくれるなどと考えるなら、それは勘違いも甚だしい。言葉を発する資格も無い。

 今回、本来、みのの問題と新潮の問題について書くつもりだった。
 だが、それ以上にこの馬鹿ジャーナリストの発言が許せない。

 本来、識者・正常なジャーナリストであれば、彼女をもっと非難すべきだろう。
 もし、みのや新潮だけでなく彼女すらも非難せず擁護するようであれば、日本のジャーナリズムに存在意義などもはや無いと言っていいだろう。

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 情報源の秘匿・報道の自由は、国や他人が無制限に保障するものではない。
 本来、どんな権利も『使う側』が不断の努力をして始めて認められるものだ。
 努力を放棄して、「守ってもらって当然」などと考えるならば、それは「権利と義務」を理解せず、ただ「自分の権利だけを求める」わがままな子どもでしか無いだろう。
 このような人達の言葉など、便所の落書き並に価値がない「たわごと」でしかない。
 私は、そう思う。

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自分のその他参考意見
新聞が衰退する ― 2009-03-07
http://kusuriyasan.asablo.jp/blog/2009/03/07/4157998

腐りきったジャーナリズム・新聞には、本気で、何の価値も無いと思う。

……いや、「馬鹿な大人」という反面教師としての価値はあるか。

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追記:
勘違いして欲しくないのだが、この裁判の「崎浜医師の行為の正当性」については、微妙なので論じようとは思わない。
 私自身は、仕事柄、何でもかんでも「守秘義務がある」とは思っていない。必要であれば外に情報を漏らす事も妥当な場合があると思っている。

 だが、何度も書くが、「自分の情報源」を死守する事は、「ジャーナリスト」として絶対に守らなければいけない、最低限の義務だ。
 はっきり言って、草薙が行うべき事はどこまでも死守し「証言拒否により自分が罰せられる」事だった。
 そこまでやって初めてジャーナリズムの正当性を訴える事ができただろう。
 「自分の保身のために情報源を売り渡す」。「自分のジャーナリスト生命」のために「自分に情報をくれる人」を殺す。
 それで、どうやってジャーナリズムが守れるのだろうか?

 その事を、すべてのジャーナリストが(自称・他称を問わず)自らに問い直すべきだろう。
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