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分をわきまえている、と思いたい2008年07月13日 00時31分47秒

<民主党>鳩山幹事長が党代表選への不出馬表明
7月12日19時53分配信 毎日新聞

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は12日、茨城県筑西市で記者会見し、9月に予定される党代表選について「小沢一郎代表が出馬されるなら当然、今日まで助けてきた人間として出馬はしない」と述べ、立候補しない考えを明確にした。(以下略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080712-00000081-mai-pol


まあ、鳩山さんは「自分の器を知っている」という事で、いいんじゃない?
「自分の政治理念・信念があって政治をやっている」訳じゃなくて「仲良しこよし」で政党をやっている程度の器だから。

逆にこの人が立候補するようじゃ、民主党も「高が知れている集団」ということでしかないだろうし。

なんだかんだ言って、この人が立つ事、期待していた人っているのかな?

今までの状況を見ても、この人と管は「リーダーの器じゃない」と思う。
「大番頭」として調整役をやるなら逆に優秀だと思うけどね。

今、リーダーをやれるとしたら、最初に必要なのは「ぶれない理念」と確固たる覚悟。それと「ビジョン」。

この3つを持っていると言う点で話せば、前原さんはリーダーの器だと思う。
後、「変わった理念」だけど、リーダー的資質として河村たかしなども面白いと思う。

現実的でかつ調整力の高い「番頭」がつけば、この手のリーダーシップやカリスマ性は、非常に有効的に効くだろう。


ちなみに、小沢は駄目。

「政局を操る」という点ではある程度の才能はあるだろうけど、「ビジョンを持って国家を動かす」と言う部分。「国家のトップ」としての能力に極めて欠ける。

この人は、本来、策士としてリーダーの補佐をするには十分な能力なんだよね。
だけど、今は、自分の「策士としての能力」に過信しすぎて「トップとしての能力がある」と勘違いしているのが最悪の部分。

この人にあるのは「王佐の才」であって、「王の才」じゃない。


元々、「王の才」、「「王佐の才」と「家老の才」、
「トップ」「軍師・参謀」「総合管理職(家老)」は別の存在。思考も能力も別物。
それぞれ別箇の才能で、どれもこなせる人というのは少ないんだけどね。

「適材適所」の意味を理解せず、一つの才能があると他の才能もあると勘違いしている。

……それが民主党の最大の欠陥かな。


「分をわきまえる」というのは、「自分の限界を知る」というだけでなく本当は「自分の資質を知る」という意味もあるのだと思う。

だから、もっと分をわきまえて欲しいな、みんな。

馬鹿な保身がすべてを壊す2008年07月13日 18時47分19秒

日大スキー部、インカレ出場無期限停止…事件でウソ報告
7月13日3時4分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080712-00000057-yom-soci


この話、強姦という犯罪を行った個人そのものについては、処罰は当たり前。

ただ、問題なのは「無期限停止」になった大学側の対応の方です。


この処分を「厳しい」とか「連帯責任を取らせるのはどうか」という意見もあるでしょうが、私からすれば「無期限停止は当然」だと考えます。


なぜか?

それは、日大が行ったのは「隠蔽工作」だからです。

>同連盟は、昨年12月に日大スキー部の早坂毅代司監督から、犯行は部の活動と関係なく、部員も自主退学した、との報告を受けたため、日大に今年1月のインカレの出場を認め、日大は男女とも総合優勝した。

とあるように、日大スキー部が行ったのは、「虚偽の報告を行い組織としての処分を免れようとした」という保身行動です。

コレが一番問題です。

なぜなら、「組織として保身を図るために、嘘の告知をして逃れようとする」事は、最近良く見られる偽装問題で、偽装発覚後の記者会見などで、さらに事実と異なる報告するような隠ぺい工作と図式が全く同じだからです。

本来、虚偽告知をして処罰を逃れる事が正しい事として認められるような社会では困ります。ならば、「組織としての隠ぺい工作」があれば、中にいる部員がどうであれ「組織」として処罰されるのは当然でしょう。

ですので、今回の問題は、安易に保身を図った大学側の失態だと思います。

おそらく、「部員が行った事」しかし「個人の問題であり、他の部員には関係ない」ときちんと報告すれば、最悪処分されたとしても半年間の停止とか今年度の大会出場停止程度で収まったと思います。
場合によっては部としての出場停止処分自体無かったかもしれません。

それを、小さな利益・目先の利益を得るために保身に走り虚偽告知を行った。

結果の無期限停止。

自業自得とはこの事でしょう。

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しかし、この問題、さらに見方を変えると、日大では「処分を逃れるために嘘の報告をするのは当然の行為」という風に考えているということになるんですよね。

と、言う事は、日大生は「隠ぺい工作を当然と考える」人たちに教育を受けてきた学生。という事に理論上なってしまうのですがね。

どうしたものでしょうかねぇ。

まあ、これはいいんじゃない?ただ「自分だけ許す」のはどうかと思うけど2008年07月16日 14時50分17秒

橋下知事、公用車で抜け出しジム通い
7月16日11時29分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080716-00000913-san-pol

……まあ、これはいいんじゃない?
府知事ともなれば体力は必要だし。

仕事をする上では、適度なリラックス状態や意識の切替は必要ですから、いつも同じ机に向かって仕事をするのは、効率面からもよくない。

で、公用車の移動について文句を言う人もいるだろうけど、私からすれば「知事の社会的地位・危険防止」のために移動は公用車であるべきだって思ってますから。

(前に東国原知事が「公用車廃止論」を出した時、次のような理由から反対意見書きました)
公用車はなぜ必要なのか考えよう
http://kusuriyasan.asablo.jp/blog/2007/02/08/1170857


…ただ、
……やっぱり言っていた通りのミスをするのかぁ、お前は。

「部下に要求しておきながら、自分は特別だからって許すのはまずい」って書いたら、まさにその通りの展開になるとはなぁ。

………もう、何か、言い尽くした事を、やられているだけだから、書くことはほとんど無いけど。

また「メッキがはがれた」宣言してもいいよね。


>報道陣から、「反省しているか」と問われると、「(反省は)ない。ただ、もう少し早く(私的な時間が限られる)知事職の生活状況を府民に説明すべきだった」と応じた。

うん、「行った事」を反省する必要はないと思う。
私も必要だと思うから。

ただ、「部下には仕事以外の事」を禁止しておきながら、自分だけは「仕事の効率を上げるため」といって『特権』扱いにした事は、反省すべきだと思うよ。



私が書いた記事に興味のある人は、
6月12日「メッキがはがれてきた橋下知事」から順番に読んでいただけると助かります。
http://kusuriyasan.asablo.jp/blog/2008/06/12/3573955
をスタートに、この一月、何回も色々書いてました。

……ホント、何でこちらの読みを外さない「お約束な展開」に落ち込むんだか、こいつはぁ。

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後、どうも「スタッフ連中」にまともな判断ができる人間がいなくなり始めているんじゃないか、今。
状況分析がしっかりできていれば、こんな展開に持ち込まないように誰かが、必ず諫言しているはずだと思う。
それができていないって事は、人材が枯渇しだしているのか。
それとも、「自分の能力」に過信して「裸の王様状態」に突入したのかな。

「サポート連中との距離も離れ始めて味方がいなくなり始めた。」

そんな読み方ができはじめてます。
……当って欲しくは無いけど、当ってそうな気が思いっきりするのが嫌だなぁ。

残っているのは「烏合の衆」
考えるのは「自分だけ」

……ああ、裸の王様ができ始めたなぁ、こいつは。

田中康夫と同じパターンの失敗例になるのかなぁ、
……それも「もっとひどい形で」

全天候・全温度対応なんてあるわけない!!2008年07月18日 15時55分15秒

クールビズ「28度では能率低下」…日本建築学会調査
7月18日14時34分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080718-00000031-yom-soci


人間の活動温度帯に差があるのは当たり前。
しかも、活動できる温度帯であっても、端に近づけば近づくほど「能力低下」が始まるのも当たり前。
この手の話って、反対する人も賛成する人も、この「子供でも解る」常識的な考え方ができなくなるのはなぜでしょうね?

単純に言えば、
「0度から40度まで」どの温度でも活動できる。 という事と
「最も有効的な20度での活動」と「0度近く(40度近く)での活動」では『差が出る』というのは、両立する話であってこれを問題視する方がおかしい。

>室温が25度から1度上がるごとに作業効率が2%ずつ低下した。

はっきり言って「当たり前」
個人差があるとしても
「25度」が快適温度ならば、そこから離れれば離れるほど能力は低下する。
これがもし変化しないのであれば、それは「快適温度帯」の幅が個人的に広いという『個体差』の話。

ちなみに私の快適活動範囲は「普通の人より低め」「寒くても平気」だけど「暑いのは駄目」。
冬場、暖房を使わない事に関しては「異常」とまで言われてるしね。

で、さらにおかしな話は、
経済の話になった時、「最大効率」で話をしているところ。

クールビズだの何だの言っているけど、それ以前の話で、

「28度では25度より6%効率が落ちる」としても
『で、何が問題なの?』 

そもそも、25度を「仕事効率の基準」とするから「生産性の低下」が問題になるんですよね?

逆に、最初から28度前後での「仕事効率」を基準として、25度になった場合は、「達成後」に「余裕」を持たせればいいんじゃないの?


今、どうも社会全体の考え方に、余裕がないように見える。

どうも、「いつでも全力全開の活動をする」という事で計画など考えているように見える。

これでは余裕がない分、いつでも「ぎりぎり」で動かないといけないし、もし、一箇所でも問題が発生したら、すべてが動かなくなる状況という、「数字」はよくても危険度の高い、リスク管理という面から言えば非常に駄目な形だと思う。

本来、元々の社会設計・生活設計は「80%出力」で考えるべきだと思う。
80%程度での「通常運転」に徹するべきで、100%出力は「緊急時の手段」として取っておくべきだ。

今回の話でも同じ。
「28度下での能力の80%活用」で成立するように、経営計画を立てればいい。
それをせずに「いつも最大能力でいつも最大の効果を」などと考えているようでは、企業経営者としては最低の部類だと私は考えます。

これは、経営論だけでなく日常生活論・その他すべての活動論に繋がる。
100%の限界能力は、その限界能力を必要とする「短期間の緊急時」にのみ使用すべきで、通常から100%を要求するのは、根本の考え方がおかしな人。

日常でも、そうやって「生計の余裕を考えず」に100%計画なんて立てているから、何かあった時どうしようもない。どうしようもないから、借金に頼って以後雪ダルマ式の坂道転落。

借金も「借金返済までを頭に入れた100%計画」なんて考える方が馬鹿です。
「借金返済額」を入れて、かつ「1~2万円程度予備費ができるように」生活設計するのが正解。

それができないのは、基本となる計画・認識を大きく間違えたまま「利得」を追求しているだけです。

昔から、「あらすじ感想文」だってあったじゃない2008年07月20日 15時25分18秒

大学生から小学生まで 「ネットでコピペ病」蔓延
7月20日12時25分配信 J-CASTニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080720-00000001-jct-soci


今更、何をくだらない事を言っているんだろうかね?

昔から、あらすじだけで3~4枚書いて、その段落ごとに、「~という部分がとてもおもしろかったです」というような、「あらすじ感想文」がざらにあったじゃない。

また、今では本屋に行けば、「このように書いたら評価される」というように「感想文の書き方」を教える本も出てるし。

今時、学校の感想文なんてまともに評価できないでしょう。

実際、個性的な文章を書いてきたら「書き方の順序がおかしい」という風に書き方指導したり、個性的な感想を書いたら「そのように読み取るのはおかしい」と、矯正にかかる。

そんな指導しかできない学校で、まともに文章を書いてくるような生徒を期待する方が間違っていると思う。

まあ、個性的な文章や考え方を非難して、「一般である事」のみを求めるのは、外の社会や学校だけの話じゃないけど。


このブログ見れば解ると思うが、「個性的な意見」というのを、単に「偏った誹謗中傷」として排除しようとする。
相手を理解しないで「一般である事」を望もうとするような人なんてザラ。

そんなものでしょう。

「違う」という人もいるだろうけど、それはホンの一握り。

しょせん、「一般化する事」に重きを置いた学校教育を受けて、なおも「個性的である事」を貫こうとする人など少なくて、その人たちが、次の世代を作っているのだから、余計に「一般的」しか認めない許容範囲の狭い世界になる。

「個性を求める」なんていいながら、自分に都合の悪い個性は「絶対に認めない」その程度のメンタリティの全体意識。それが今の日本の大多数でしょ。


1人の没個性的な文章が、そのまま多数の意見になる。
その程度の社会でしょ。


文句を言う人も、社会では「私もダレダレさんと同じ意見です」で終わってないか?
「ダレダレさんと同じ意見」であることを悪いと思わないが、「思考パターン」まで「ダレダレさんと同じ」なら、その人は存在する意味が無いんだけどね。

オリジナルの「ダレダレさん」がいれば十分。

「同じ考え」しかできない粗悪なコピーじゃ意味などないって事に、いつになったら気がつくんだろう。

今更、この程度の事を取り上げてがちゃがちゃ言って、しかも「今時の若い人はこれだから」と文句を言う。

自分達は子供の頃、どうだったんだろうね?

え、私?

私は最初からボーダーの上・規格外品でしたよ。
で、なければ今もこんな風にネットで個人的視点からの文章なんて欠いてないから。

もし内容が同じだとしても、多くの人が「そうだね」って安易に同意するような迎合してもらえるような「おやさしい文章」は、かけないしね。
っていうか「書きたくない」。

……でさ、ホントに下のような子供を許す社会で、自分達も許しているなんて、本気で言える?
みんな

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