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新しいものがいいとは限らない2007年02月01日 21時30分32秒

さて、Vistaがはじまりました。

が、いきなり既存ネット環境ではVista未対応の嵐が吹き荒れる。

まあ、よく考えれば、新規OSについて情報を開放していなかった以上、各企業が対応できていないのは当然のことかと。

今後も、電子申請関係では、新しいVistaがどの程度広まるかわからないし、まだセキュリティホールその他トラブルが出てきていない以上、ヴァージョンアップするまで、電子申請政府が対応するとはとても思えません。
ですから、私たちのような職業では新しいOSに変える必要性は今のところないと思います。

それに、「ビジュアル面が強化」とのことですが、XPですら、クラシックモードでCPUやメモリーに負荷をかけず安定運用をすることを基本としている私にとっては、Vistaに魅力は全然感じません。
(斜めにウィンドウが表示されたところで、特に意味ないし)

実際、今のネット環境でまったく不満はもっていないし。

しかしながら、新規バージョンアップは色々と弊害があるのも事実。

Vistaは入れていないけれど、XPにWindowsMediaPlayerを11にバージョンアップしたところ…

Gyaoが映らないってばよ!!(ヲヒ)

どうやら、必要なdll等の変更があったらしく、設定チェックの段階で、無限ループに突入。「強制終了しないと終わらない」という悪夢が発生しました。

…その10分後には、11から10へデグレード。 だめじゃん!!

「無駄なバージョンアップ」が弊害をもたらすことを久しぶりに実感しました。

言葉尻だけ捉えて、政治をしない政党2007年02月07日 00時35分27秒

つくづく思うのだが、物事の本質を捉えないで、単に言葉尻だけを捉えていい気になっている。
そんな野党に政権能力云々を言う資格はないと思います。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070206-00000132-mai-pol
<柳沢厚労相>子ども2人以上「健全」発言

この発言は、社会構造的また生物学的に見てもしごく正当な意見です。
この発言を「間違っている」と言う人は、明らかに基本認識を誤っているとしかいえません。

なぜなら、生物学・社会構造から見れば、仮に全結婚適齢世代が「2人」で婚姻した場合、次世代が「2人以上」生まれなければ、その生物個体数は確実に衰退するからです。
これは、単純な計算であって、否定することができない論理です。

したがって、結婚適齢世代が「全員結婚し次世代を誕生させる」わけではない社会であれば、結婚した人が「2人以上」次世代を誕生させなければ」やはり生物個体数(日本の総人口)は明らかに減少します。

これは、日本と言う「社会」(コミュニティ)そのものを衰退させることになります。
(総生産力の問題ではなく、単純に「日本国民(日本で誕生する人)」が減少する以上、日本という「組織社会(コミュニティ)」も縮小せざるを得なくなります)

したがって、本来、国家(日本と言うコミュニティ)を考えるのであれば、この柳沢発言は正当な理論として捉えなくてはおかしいのですが、なぜ、否定しているのでしょう?

これは、単に「柳沢が発言したから」ということだけで、中身を考えずに言葉尻だけを捉えて発言しているからだと考えます。

大局を捉えることなく、瑣末な言葉尻だけで非難する。
そんな政党では「国策を担わせるのは非常に危険な政党」とはとても思えないのですが。

それにしても、このマスコミの報道ぶりもどうだろうか?
結局、報道も、まともに「言葉の意味」を考えないで、単純にブームに乗って言葉狩りをするだけなのですね。
ジャーナリストにおいて、言葉尻だけを捉えて言葉の意味を捉えないのは、自分で自分の首を絞めることになるのですが。

公用車はなぜ必要なのか考えよう2007年02月08日 04時03分05秒

黒塗り高級車やめました 知事公用車で東国原知事
http://www.sanspo.com/sokuho/0207sokuho052.html
サンスポ.com より

公用車問題ですが、私としては適切な判断だと思います。

「公用車はいらない」と最初公言していたらしいですが、

知事としてフル活動してもらうためには、公用車が絶対に必要です。
なぜなら、車の中でも仕事をしなければならないからです。

そもそも知事クラスの公用車としての性能は、
・後部座席の機密性が高く(電話の情報などが運転席や外部に漏れにくく)
・居住性が適度に保たれ(書類チェックがしやすい、乗っていて疲れない)
・車の挙動もスムーズであり、かつエンジンパワーも高いこと(2000cc以上)
・セキュリティ面から、頑丈かつ防犯性が高いこと
などが基本的に必要です。
(これは、走り回る社長の車の条件でもあります)

この時点で、一般大衆車レベルの車は論外で(実務上あまり役に立たない)
やはりハイエンドセダンクラスかその一つ下程度のクラスが必要になります。
(最近では、バンの改造型というのもありだが)

そもそも、高級車は「社長業務用の車両」としての性質を目的として作られています。(だから「プレジデント」(大統領・社長の意味)なのですが)
一般大衆車は、これら社長業務に必要な部分を削って廉価判にしたものです。

ですから、プレジデントクラス前後の車を公用車として使用することは本来「正しいこと」です。

変に内装をいじったリンカーンに乗っていたり、速いだけで意味の無いスポーツカーに乗るわけでもないのですから、これで色々文句を言うとしたら、それは、知事という「県の社業」業務を理解していないからでしょうね。

この意味で言えば、忙しい会社の社長が自家用飛行機やチャーター機を使っているのも「当たり前」です。

日本の場合、これらを単なる道楽やステイタスシンボルとしてしか捉えていない人の方が多い。というのが、発想力が貧困なところでもあり残念なところです。

追伸: 後、対外的な見た目においても「一般大衆車」は駄目です。
社長などでも、結局色々な会合に出た時
「なんだ、あの会社の社長はカローラ程度にしか乗れないのか」となれば、会社全体が軽んぜられます。
一応、「上に立つもの」としては、「上に立つもの」としてのスタイルも気にしなければなりません。
身だしなみが大事なのは当然ですが、身だしなみとは、着ている服装だけでなく、乗っている車なども含まれるのです。

”異なる思想は抹殺せよ!” 日本人の狭量2007年02月10日 15時59分34秒

東国原宮崎知事 副知事選びで難局…持永氏が舞台裏明かす
2月10日9時45分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070210-00000003-maip-pol


「日本人」に正しい政治感覚や、正常な理念を持つ人は少ないのですね。


…これは「副知事に持永氏を起用するのは反対」という人々の事です。

日本人は、本質的に精神がひ弱すぎると思います。

「勝者」が「弱者」に対して寛容なのは、本来、勝者としての義務です。
とはいえ、寛容と甘えは異なるものであって、「寛容になる」ためには「寛容になっても負けない」だけの十分な対応をしていることが必要です。

「寛容であり、それでいて勝ち続ける」
この強さこそが、勝者に求められる強さです。

ところが、今の日本人には、これだけの強さ(言い換えればゆとり)というものは、もっていない人が多すぎます。

現在、ほとんどの場所で、日本人の勝者が行うのは”殲滅戦”
負けた人が二度と立ち上げれないように、完全に殲滅することに躍起になっています。

殲滅戦は、「弱者」が偶然勝利した時、「いずれ自分がまた弱者になる」という恐怖心から行われるものです。
殲滅戦を行う限り、その勝者は「弱者の意識」(敗北の恐怖)から逃れられていない、卑小な存在でしかありません。

そもそも、民主主義の本質からいえば、その基本は、相手を打ち負かすことではなく、様々な相手との対話の中からよりよい意見を構築する事がその目的です。
特に「議会」や「政治」とは、本来「話あう」場であって「異なる意見を抹殺する」場ではなかったはずです。
その考え方によれば「対立候補の意見ほど一番耳を傾けなければならない」はずです。

宮崎知事選挙についても
全得票集60万のうち、東国原知事 26.6万、持永さん 12万
と、東国原知事は全体の45%しかとっておらず、持永さんでさえ20%の支持があるという事実が先にあります。

自分の約半分の人間が支持している人、県民の2割が支持している意見。
しかも、自分と対立する意見の持ち主。

これらの事実を「無視」するという事は、本来あってはならない事です。

身近な、自分と同一の意見だけを、正しいとし、異なる意見の持ち主(その代表)を封殺するというのは「思想統一」以外のなにものでもありません。

にもかかわらず、多くの人は「他の意見を取り入れようとする」知事を、大きく非難する。

…政治の基本原則すら無視する行為としかいえません。

日本人は「国民が全員同じ意識」「日本は大いなる思想統一」という、
「日本=村」的な民族意識を持ちすぎだと思います。

異質なものを受け入れられない、島国の閉鎖的意識、これが今の日本の患部そのものなのかもしれません。
太平洋戦争も「時の軍部」というよりも、この「同じ思想で無いものは許さない」という狭量な民族性が招いたものなのでしょう。
また、今の”いじめ”論議も、「同じモノ以外認めない」という本質が、その根源部分にあると思うのですが、どうでしょうか?

「自分たちと同じ意見しか認めない」「異なる勢力の意見を聞くことは許さない」

それが民主主義として正しい事なのか。宮崎県民だけでなく、この話を聞いた多くの国民が考えなくてはいけないことではないでしょうか。


「弱者の意識」、「全体が同じ思想でなければ安心できない」精神の弱さ、一人で立つことができないひ弱な民族である限り、日本人が衰退していくのは仕方がないことなのかもしれません。
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