この記事を多くの人に読んでもらいたい!!そう思ったら『人気ブログランキング』押してください
検察が言うんだから、死刑にすればいいんだよ!! ― 2010年11月01日 18時45分42秒
と考えるのだけは、絶対にやめて欲しいと思う。
裁判員、死刑適用せず=耳かき店員殺害で無期懲役―東京地裁
時事通信 11月1日(月)15時35分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101101-00000078-jij-soci
さてこの事件、冷静に見れば、まあ「五分五分」というのが妥当なところだと思う。
こういうと不満に思うかもしれないが、元々この事件、一言で言えば「絶対何が何でも死刑」と『言い切れる』レベルだったのか?というところに一番の問題があった。
確かに不条理な面はあったと思う。
だが、だからといって「何が何でも死刑にしてしまえばいいんだ」と、後悔することなく『言い切れる』かどうかといえば、非常に難しいと思う。
きっと、これを読んだ人は「自分なら言える」と言うかも知れないだろう。
だが、そのような人に聞きたい。
「死刑にすべき」と「死刑と言い切れない」「死刑が求刑されていても、それを認めないレベル」という境界線が自分の中で明確に確立しているのだろうか、と。
「2人だから死刑」 なら「1人」なら?
「か弱い女性を殺したから」なら「屈強な男」だったら?
はっきり言って、自分の中に「人を死刑にしていい(殺していい)」明確な境界線があり、それが「万人に共通するルールだ」と言い切れる人は、いないだろう。
逆にいえば、「自分のルールが日本のルールであるべきだ」などという人がいるのならば、私はそのような人間の方が恐ろしいとすら思う。
今回は、全員がバラバラの価値観の中で、それでも手探りで境界線を見極めようとした裁判だ。
結果、死刑と「言い切る」ことはできないという結論になった。
この判決について、批判があってもいいが、もう少し冷静に評価すべきだと思う。
少なくとも「私がその場にいたら死刑にしている」などと安易に言うのは問題だろう。
>東京地裁(若園敦雄裁判長)は1日、「死刑選択の余地を徹底的に議論したが、極刑がやむを得ないとの結論には至らなかった」
・『死刑やむ無し』とまでは言い切れなかった。
何度も書くが、これが端的に示された結論だ。
死刑にすべきと言う人は、「殺してしまえ」と『言い切る』事の重みをもう少し考えて欲しいと思う。
もし覚悟もせずに、雰囲気で「殺してしまえ」と言ってしまっているのならば、その思考には非常に問題があるのではないだろうか。
------------
特に、冒頭にも書いたが、
「検察が言うんだから、死刑にすればいいんだよ!!」
このような考え方を持っているのであれば、すぐに改めた方がいいだろう。
国家が言うから、権威が言うから、だから正しいだから従えばいい。
その思想こそが、人である事を放棄する考え方なのだから。
また、「自分の考えと違うから」許せない。
もし今回の裁判をこう批判するのであれば、それは非常に問題がある考え方だと思う。
「自分の考え方」こそが「世界の正しい考え方」と考えるのは傲慢でしかないのだから。
-------------
今回の裁判。
「境界線を必死に見極めた」裁判員の人には、「よくやった」「おつかれさま、がんばりましたね」と私は言いたい。
--------------
なお、被害者の遺族が「判決が許せない」というのは、当然だと思う。
当たり前の感情であり、これを否定するつもりは一切無い。
とはいえ「被害者遺族が望むのだから、死刑にしてしまえばいい」、という話でも無いことを『周り』は理解すべきだろう。
--------
--------
……話は変わるが、この記事、
東スポ方式の記事の書き方だけど、ちょっと問題がある気がしないでもない。どうしたものか。
裁判員、死刑適用せず=耳かき店員殺害で無期懲役―東京地裁
時事通信 11月1日(月)15時35分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101101-00000078-jij-soci
さてこの事件、冷静に見れば、まあ「五分五分」というのが妥当なところだと思う。
こういうと不満に思うかもしれないが、元々この事件、一言で言えば「絶対何が何でも死刑」と『言い切れる』レベルだったのか?というところに一番の問題があった。
確かに不条理な面はあったと思う。
だが、だからといって「何が何でも死刑にしてしまえばいいんだ」と、後悔することなく『言い切れる』かどうかといえば、非常に難しいと思う。
きっと、これを読んだ人は「自分なら言える」と言うかも知れないだろう。
だが、そのような人に聞きたい。
「死刑にすべき」と「死刑と言い切れない」「死刑が求刑されていても、それを認めないレベル」という境界線が自分の中で明確に確立しているのだろうか、と。
「2人だから死刑」 なら「1人」なら?
「か弱い女性を殺したから」なら「屈強な男」だったら?
はっきり言って、自分の中に「人を死刑にしていい(殺していい)」明確な境界線があり、それが「万人に共通するルールだ」と言い切れる人は、いないだろう。
逆にいえば、「自分のルールが日本のルールであるべきだ」などという人がいるのならば、私はそのような人間の方が恐ろしいとすら思う。
今回は、全員がバラバラの価値観の中で、それでも手探りで境界線を見極めようとした裁判だ。
結果、死刑と「言い切る」ことはできないという結論になった。
この判決について、批判があってもいいが、もう少し冷静に評価すべきだと思う。
少なくとも「私がその場にいたら死刑にしている」などと安易に言うのは問題だろう。
>東京地裁(若園敦雄裁判長)は1日、「死刑選択の余地を徹底的に議論したが、極刑がやむを得ないとの結論には至らなかった」
・『死刑やむ無し』とまでは言い切れなかった。
何度も書くが、これが端的に示された結論だ。
死刑にすべきと言う人は、「殺してしまえ」と『言い切る』事の重みをもう少し考えて欲しいと思う。
もし覚悟もせずに、雰囲気で「殺してしまえ」と言ってしまっているのならば、その思考には非常に問題があるのではないだろうか。
------------
特に、冒頭にも書いたが、
「検察が言うんだから、死刑にすればいいんだよ!!」
このような考え方を持っているのであれば、すぐに改めた方がいいだろう。
国家が言うから、権威が言うから、だから正しいだから従えばいい。
その思想こそが、人である事を放棄する考え方なのだから。
また、「自分の考えと違うから」許せない。
もし今回の裁判をこう批判するのであれば、それは非常に問題がある考え方だと思う。
「自分の考え方」こそが「世界の正しい考え方」と考えるのは傲慢でしかないのだから。
-------------
今回の裁判。
「境界線を必死に見極めた」裁判員の人には、「よくやった」「おつかれさま、がんばりましたね」と私は言いたい。
--------------
なお、被害者の遺族が「判決が許せない」というのは、当然だと思う。
当たり前の感情であり、これを否定するつもりは一切無い。
とはいえ「被害者遺族が望むのだから、死刑にしてしまえばいい」、という話でも無いことを『周り』は理解すべきだろう。
--------
--------
……話は変わるが、この記事、
東スポ方式の記事の書き方だけど、ちょっと問題がある気がしないでもない。どうしたものか。
この記事を多くの人に読んでもらいたい!!そう思ったら『人気ブログランキング』押してください
最近のコメント