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袖ヶ浦団地まいぷれ図書館に行ってみた。2014年01月28日 17時57分05秒

袖ヶ浦団地まいぷれ図書館
著者:久繁哲之介「商店街再生の罠」ちくま新書 を読んでいたら、袖ヶ浦団地に民間図書館があるということなので、行ってみた。

 といっても、コミュ障に近い自分なので(この職業でそれはどうか思うが「無駄話」ができない性質なので、何の気なしの会話というのができない)ちょっと覗いただけで、そそくさと逃げ帰ったのだが。

 で、図書館は近所のコミュニケーションプレイスになっているというのは本当らしく、入って棚を見ていると、話が聞こえてきた。
 どうやら今日の読売新聞で記事になっていたらしい。

 ということで、帰って読売新聞を確認することに。

 実際、くらし面の「生活調べ隊」で取り上げていた。

 NPO法人「情報ステーション」が運営しているそうで、船橋市内を中心に活動しているらしい。http://www.infosta.org/index.html

 とはいえ、見てみると幾つかは閉鎖しているところもあるようで、試行錯誤の繰り返しといった感じなのだろう。

 袖ヶ浦団地商店街は完全なシャッター商店街で、再生も難しいかと思っていたが、新しい取り組みとしては面白いのかもしれない。
 袖ヶ浦団地自体がリフォームして、新しい街づくりを模索している段階なので、うまく行ってほしいものだと思う。

この時期になると思い出す作品がある2013年08月09日 21時02分53秒

 「夏の葬列」という作品だ。

 学校の教科書で読んだだけの作品だが、「最後の授業」と共に私の心に刻み込まれている。

 銃撃によりゴムマリのように宙を舞う白い服の少女。

 暑い夏の蜃気楼のような記憶の中で正確な文章も判らないながらも、なぜかこの情景だけはすぐに想像できる。教科書で読んだだけなのにもかかわらず。

 彼が正しいとも間違っているともいえない。その瞬間にそれしか選べなかった、ただそれだけのことでしかない。

 ただそれでも、この悲劇は戦争の悲惨さを感じさせるには十分すぎるだろう。

 調べてみると、夏の葬列はただ一度だけ私が生まれる前にTVドラマとして放映されたことがあるそうだ。

 一度、映像で見てみたいと思うが、その反面、心の中で思い浮かべるだけで十分だとも思う自分がいる。

 感想も解釈も何も難しいことはいらない。
 ただ、あの場面だけを思い浮かべればいい。

 それだけで十分だと思う。

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「夏の葬列」 山川方夫

乙武ブーメラン2013年05月22日 15時13分38秒

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130521-00000027-rbb-ent
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130519-00000002-jct-ent


昨今、話題の乙武さん入店拒否問題。
自分もツィッターで色々書いているが、「乙武さん駄目駄目」という一言でまとまる。

http://ototake.com/mail/307/
「イタリアン入店拒否について」 乙武さん公式ブログより

 単純に言えば、謝罪ブログに見せかけて「自分はこんなにひどい対応をされた」で終始している。「自分達側が店にひどい対応をした」可能性についてはまったく無視して、だ。
 特に女性が店舗でどのような対応を「した」のかを無視し、「彼女が泣いて帰ってきて報告した」内容をもって、店側に対し先入観を持った対応を行っている。

 知人だから正しく対応しているだろう、正しく対応できているはずだ。という「身びいき」で始まっている。

 はっきりいって、「泣きながら降りてきた」興奮状態の時点で、「彼女が冷静に適切な対応をした」などという事は疑ってかかるべきだろう。
 冷静に適切な対応をしていたら「泣き出す」などという事は無いのだから。
 しかも、
>女性ならではの感性かもしれない。このやりとりに傷ついた友人は、泣きながら階段を駆けおりてきた。僕は予期せぬ出来事に目を白黒させていたが、話を聞くうち、ひさしぶりに会った友人が、僕のせいでこれだけ悲しい思いをしてしまったことに、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 この時点で、自分自身も「冷静さを失っている」ことは明らかだ。
 この状況で、乙武さんが「理性と常識あるコミュニケーション」を図れたかどうかと言えば、怪しいとしか言えないのではないだろうか。

 『相手が、理性と常識あるコミュニケーションを図ってくださるなら』と書いているが、自分自身が『理性と常識ある判断』を最初の段階で先入観なしで取れていたかどうか、振り返る必要があるのではないかと思う。

>はなから相手を小馬鹿にしたような、見下したような、あの態度が許せなかったのだ。

 彼女自身が興奮してお店にとった態度に「お店側を小馬鹿にした」ような可能性は無かった、と言えるのだろうか。

 「彼女の行動」の是非を確認せずに、一方的に店のみを批難するツィートを発した」

 これではクレーマーが自らの行為を省みず、他者を批判するのと同じだ。実名云々の問題もあるが、乙武さんの一番の問題行動はここにあったと私は考える。

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なお、乙武さんは自書「五体不満足」において次のように言っている。

>もし 『自分は障害者だから優しくしてもらえない』 と言う障害者がいたら 『障害者だからじゃなくて あなた自身に問題があるんだ』 と言ってあげて欲しい。

 「乙武さん側に問題があるんだ」という発想に至らなかった点で、人とは自分の事については疎くなるということを、今回、乙武さんが自ら証明してしまった。

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追記:
 ちなみに、ツイッター・ブロク、その他外部の多くのコメントを読むと「店主と店員が運べば済む話、それぐらいして当然」という意見がちらほら見られる。

だが、 『不特定多数の客がいる』お店で『店主・店員が誰もいない』状況を十数分作ることに、『何も問題がない・当然』などと考えるのはどうだろうか?

 「平和ボケも過ぎる」と私は思う。

真面目に勤めたら、150万没収します2013年01月22日 20時29分51秒

退職手当減額前に駆け込み退職 埼玉の教員100人超
2013.1.22 12:50 [教育]
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130122/biz13012212510009-n1.htm
MSNサンケイニュースより

 県教委によると、2月1日施行の改正条例で退職手当が引き下げられることから、新制度適用前の“駆け込み退職”が相次いでいるとみられる。県教委は「教員の臨時任用などで学校運営に支障が出ないよう最善を尽くす」としている。

 改正条例施行後、勤続35年以上の職員が3月末の定年を待って退職した場合、手当が現行より約150万円減るという。
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これは、当然すぎる話だ。
この退職願を批判する方が、人として間違っているだろう。

 『2ヶ月真面目に生徒の面倒を見たら、褒美として150万円減額(没収)する』このような馬鹿な話があるだろうか。仮に給与として月50万も貰っているとしても、差し引き50万円の損になる。
 この状況で「それでも働くのが当然。生徒に尽くすのが当然」というのは明らかに間違っている。

 仮に会社で「社会人の責任としてこれから二ヶ月真面目に働いてください。只働きの上、さらに50万円没収します」と言われる。この状況でまともに働こうとする人がいるだろうか。自分たちなら働くだろうか。 そこまでして会社に尽くすのが当然と考えるだろうか。

 冷静に考えてもらいたい。

 もしかしたら『教師だから』『教育だから』民間とは違う、だから自分たちは犠牲にならないが教師はなるべきだ、などという人がいるかもしれない。

 だが「教師だから犠牲になればいい」というのは正しい考えだろうか。
 それは、教師を「奴隷」として扱っているのではないだろうか。

 この状況で教師を責め、3月末まで教師を働かせるということに文句を言わない方が異常だろう。

 そもそも、この状況でまともに教育できると思っているのだろうか。
 まともに教育できると思っている人は、頭の中がお花畑なのではないだろうか。

 この状況で三月まで教育した場合、教師は「真面目に働いて150万没収される」事が社会的に正しい事で大人として従うべきだ、と生徒に見せることになる。
 つまり、子供たちに「理不尽な犠牲を要求されても、粛々と従え。それが正しいのだ」と示すことになる。

 自分たちの子供に「社会の犠牲になっても黙って働く」事が正しいと示してやってほしい。そんな事を教師に望むのか。
 むしろ理不尽に対して抗うことを示す。そちらの方が私としては好ましい教育だと思う。


この件で教師批判をしている人は、
自分が「教師は奴隷になってほしい」「子供を社会の奴隷に育ててほしい」と要求していることに気づいてほしい。

間違った自由の主張2012年12月31日 11時16分15秒

クラブの風営法規制やめて…若者たちが署名活動
読売新聞 12月30日(日)18時56分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121230-00000497-yom-soci

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Let’s DANCE署名推進委員会の行動に思う。

現在、ダンスクラブは風俗営業法上の規制対象となっている。
このことについて、異論があるのも当然だが、もともと規制対象となっているのは「深夜0時以降の活動」であり「同時に酒類を提供すること」であり「一定以下の照度」で営業する活動だ。

これらダンスクラブ等が風営法で制限されるのは、現状のダンスクラブが『善良の風俗と清浄な風俗環境』阻害し『少年の健全な育成に障害を及ぼす行為』にあたると考えられているからだ。

決してダンスそのものを否定しているわけではない。

Let’s DANCE署名推進委員会(http://www.letsdance.jp/)の主張に以下のようなものがある。
『ライブハウスは健全に音楽、踊りを通じて人と人が人間的にふれあう交流の場であり、青少年の健全な育成に向けて、薬物や暴力の排除・根絶、地域住民との融和にとりくんでいます。』

なら、深夜0時以降に営業する必要などない。
ダンサーが酒に酔った状況でダンスをする必要もない。
観衆も酔った状況でダンスを鑑賞する必要もない。

普通のコンサートで、酔った状況で聴きますか?
普通のミュージカルで、酔った状況で踊りますか?
深夜0時以降に踊ることが、健全な活動なのですか?

『文部科学省は、平成24 年度よりダンスを中学校体育の必修科目としました。
 その指導にあたっても「ダンスとは、古今東西老若男女が楽しむ身体活動」と位置付けて「表現や踊りでの交流を通して仲間とのコミュニケーションを豊かにする」(新学習指導要領) としています。授業では、「ロックやヒップホップなどのリズムの曲を組み合わせ」「つい踊りだしたくなるような状況を作りましょう」と指導計画を示しています。』

その通り。「ダンス」自体は否定しない。
だが「飲酒状態で」ダンスを行うことを指導することはない。
「0時以降も踊り続けましょう」などと指導することもない。

『請願事項
1、風営法の規制対象から「ダンス」を削除してください。
2、行政上の指導は、「国民の基本的人権を不当に侵害しないよう」に努め、「いやしくも職権の乱用や正当に営業している者に無用の負担をかけることのないよう」とする「第101国会付帯決議」(衆院1984年7月5日)や「解釈運用基準」(2008年7月10日)にもとづき適正に運用してください。
3、表現の自由、芸術・文化を守り、健全な文化発信の施策を拡充してください。 』

「健全な文化発信の場所」とするなら、『酒を飲みながら』ダンスすること『酒を飲みながら見る事』、『深夜0時以降に活動すること』を前提とした営業をやめるべきだ。

 確かに表現の自由は守られるべきだと思う。
 自分もこのことは否定しない。むしろ積極的に同意したい。

 だが、表現の自由を守るためには、行使する側が『不断の努力によつて、これを保持しなければならない』
 これは、単に署名活動をして国に訴えることをさしているのではない。
 主張する者は同時に『これを濫用してはならない』ことが同時に求められている。
 その事を理解すべきだろう。

 繰り返すが、風営法の適用を除外してほしいなら、「飲酒状態」でダンスをすること、「飲酒状態」でダンスを鑑賞することを前提としたクラブの営業をやめるべきだ。
 また、健康を保つために「深夜の営業」もやめるべきだ。

「飲酒状態」でなければ表現できない。「飲酒状態」でなければ楽しめない。「深夜」でなければ表現できない。「深夜」でなければ楽しめない。

 それが「健全な表現方法」としての「ダンス」だというのだろうか。
 安易に賛同する人は、このことを考えほしい。

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 それにしても「坂本龍一」
 賛同者の一人で有名なアーティストだが、彼は「酒を使わなければ表現できない・理解されない」とでもいうのだろうか。
 それでは、ドラッグをキめて音楽をやっている連中と大差ないじゃないか。
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