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つまり私たちには、人間力は無いと… ― 2007年01月25日 00時07分50秒
ゆとり教育見直しに異論続出=「知識より人間力向上を」-与党
1月24日21時1分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070124-00000196-jij-pol
相変わらずの、平等教育論や人間力必要論。
「ゆとり教育」という美名に踊らされて、現場を見ていないのはどちらのほうでしょうか?
しかしながら、そもそもの疑問なのですが、「時間に追われる詰め込み教育では人間力は育たない」という論点。
つまり、その時代に育った『私たち』は人間力が欠如しているということでしょうか?
そうすると、人間力が欠如した人種が教育論を語っている…、そりゃあ、人間力が育たないのは当たり前なんじゃないかなぁ?
それとも、「昔は過酷だった。だから人間力は本来育たない。でも私たちは人間力がある。それは、私たちが普通の人に比べて『特別だったから』だ」といいたいのかな?
「不幸な時代だったけど、私たちは正常に育った」
それは、同年代の普通の人たちを見下した、傲慢な考え方だと思うのですが、どうなんだろう?
1月24日21時1分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070124-00000196-jij-pol
相変わらずの、平等教育論や人間力必要論。
「ゆとり教育」という美名に踊らされて、現場を見ていないのはどちらのほうでしょうか?
しかしながら、そもそもの疑問なのですが、「時間に追われる詰め込み教育では人間力は育たない」という論点。
つまり、その時代に育った『私たち』は人間力が欠如しているということでしょうか?
そうすると、人間力が欠如した人種が教育論を語っている…、そりゃあ、人間力が育たないのは当たり前なんじゃないかなぁ?
それとも、「昔は過酷だった。だから人間力は本来育たない。でも私たちは人間力がある。それは、私たちが普通の人に比べて『特別だったから』だ」といいたいのかな?
「不幸な時代だったけど、私たちは正常に育った」
それは、同年代の普通の人たちを見下した、傲慢な考え方だと思うのですが、どうなんだろう?
「産む機械」 発言は認めないが、行為は認める不思議な人々 ― 2007年01月31日 03時25分34秒
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070128-00000005-maip-pol
柳沢厚生労働省大臣の発言について、否定的意見が多いようだが、
そもそも、この思想自体は、すでに多くの国民に実質的に受け入れられていると思うのだが、どうだろう?
実際、すでに事実的に「機械」として使われている点について言及する人がほとんどいないのだが、これについてはどう思うのだろうか?
柳沢厚労大臣を批判する人は、次の行為についてどのように考えるのか示して欲しい。
それは『「代理母」による出産』についてである。
「代理母出産」とは、「自分が産めないから、産める人に代わりに産んでもらう」という制度であり、まさに「出産できる人」を「自分の子を産ませるための機械」として扱っている制度そのものだと思う。
実際、「代理母出産反対論者」には、このように「人を機械として扱っている」「子供を工業製品を作り出すような考え方」として反対している方もいます。
このような、代理母出産反対の人々が、柳沢発言を非難するのならわかるが、仮に、あの向井亜紀にみられるような状況で「子供を持つ権利がある」などと、代理母制度を肯定したのであれば、少なくとも、柳沢発言を非難することなどできないだろう。
なぜなら、「行為」そのものは認めるが、「発言」は認めないという矛盾を生じるのだから。
この矛盾を解決できない人は、新聞報道などを流行として飛びついてその場限りの意見をいうだけで、きちんと論理だてて考えてはいないということなのかもしれませんね。
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-276.html
実際、この人のブログなどは、傾聴に値します。
つまり、主義主張が「一貫しているから」
…まあ、私の考えとはあっていないのですが。
意見が合わないからといって、その人の「一貫性」を批判することはできません。
さて、私個人の考えとしては、
「生殖行為について」のみ見れば、
「女性」は「出産する存在」である以上、ある意味「機械」だと思う。
が、同時に
「男性」も「精子を作る存在」である以上、同様に「機械」でしかない。
生物論として捉えるならば、
セックス自体、単なる「生殖活動」にしか過ぎず、
男性が精子を体内で生成し、女性に引渡し
女性の胎内で、女性が生成した卵子と結合し、着床させることで
「受胎」する。
という機械的行為にしか過ぎないと思います。
そういう意味では、どちらも「道具」であることに代わりはないと思います。
男性上位、女性蔑視でもなく、単に『両方とも生体機械』ということではないのでしょうか?
感情面において「自己の子を作る」ということに、高い意義を見出すこともあるのかも知れませんが、「自分の子」でなくても愛せる以上、「自己の子」というものに拘泥する理由は、単なる自己意識上の問題でしかないと考えます。
ならば、生殖行為の本質とは何なのでしょうね?
これは、個々に考えることなのかもしれません。
----
おまけ
しかしながら、この矛盾に関する件については、
政党である民主党の「いい加減さ」は、あきれる限りだと思う。
「代理母制度」自体は、よいことだ。 としながら(2006年12月)
「人を出産の機械」として扱うことは いけない という。(2007年1月)
結局、その時々の人気取りのために、コメントしているだけなんだろうな。
これで「2大政党を目指す」などといわれても、まったく信用できないんだけど。
柳沢厚生労働省大臣の発言について、否定的意見が多いようだが、
そもそも、この思想自体は、すでに多くの国民に実質的に受け入れられていると思うのだが、どうだろう?
実際、すでに事実的に「機械」として使われている点について言及する人がほとんどいないのだが、これについてはどう思うのだろうか?
柳沢厚労大臣を批判する人は、次の行為についてどのように考えるのか示して欲しい。
それは『「代理母」による出産』についてである。
「代理母出産」とは、「自分が産めないから、産める人に代わりに産んでもらう」という制度であり、まさに「出産できる人」を「自分の子を産ませるための機械」として扱っている制度そのものだと思う。
実際、「代理母出産反対論者」には、このように「人を機械として扱っている」「子供を工業製品を作り出すような考え方」として反対している方もいます。
このような、代理母出産反対の人々が、柳沢発言を非難するのならわかるが、仮に、あの向井亜紀にみられるような状況で「子供を持つ権利がある」などと、代理母制度を肯定したのであれば、少なくとも、柳沢発言を非難することなどできないだろう。
なぜなら、「行為」そのものは認めるが、「発言」は認めないという矛盾を生じるのだから。
この矛盾を解決できない人は、新聞報道などを流行として飛びついてその場限りの意見をいうだけで、きちんと論理だてて考えてはいないということなのかもしれませんね。
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-276.html
実際、この人のブログなどは、傾聴に値します。
つまり、主義主張が「一貫しているから」
…まあ、私の考えとはあっていないのですが。
意見が合わないからといって、その人の「一貫性」を批判することはできません。
さて、私個人の考えとしては、
「生殖行為について」のみ見れば、
「女性」は「出産する存在」である以上、ある意味「機械」だと思う。
が、同時に
「男性」も「精子を作る存在」である以上、同様に「機械」でしかない。
生物論として捉えるならば、
セックス自体、単なる「生殖活動」にしか過ぎず、
男性が精子を体内で生成し、女性に引渡し
女性の胎内で、女性が生成した卵子と結合し、着床させることで
「受胎」する。
という機械的行為にしか過ぎないと思います。
そういう意味では、どちらも「道具」であることに代わりはないと思います。
男性上位、女性蔑視でもなく、単に『両方とも生体機械』ということではないのでしょうか?
感情面において「自己の子を作る」ということに、高い意義を見出すこともあるのかも知れませんが、「自分の子」でなくても愛せる以上、「自己の子」というものに拘泥する理由は、単なる自己意識上の問題でしかないと考えます。
ならば、生殖行為の本質とは何なのでしょうね?
これは、個々に考えることなのかもしれません。
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おまけ
しかしながら、この矛盾に関する件については、
政党である民主党の「いい加減さ」は、あきれる限りだと思う。
「代理母制度」自体は、よいことだ。 としながら(2006年12月)
「人を出産の機械」として扱うことは いけない という。(2007年1月)
結局、その時々の人気取りのために、コメントしているだけなんだろうな。
これで「2大政党を目指す」などといわれても、まったく信用できないんだけど。
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