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民主党第三者委員会 第2章についての見解2009年06月14日 19時59分07秒

さて、すでに11日のブログで第1章について述べ、「すぐ書く」と言っていたのだけど、気がついたらもう日曜日。
さぼっていてごめんなさい。

……いや、よく知っているセンセも見ているっていうことで、色々悩むのだよ。

でも、まあ、今回もいってみましょう!!

……さすがにこの報告、このまま丸呑みするのは危険すぎるからね。

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▼ 第2章 政治資金規正法のあり方について
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この章、政治資金規正法に関する報告……なのだが、読めば読むほど解らない人が多いのではないだろうか。

この報告書は先に書いたとおり「被疑者側」の意見をまとめたものに過ぎない。だから「被疑者は無罪である」という論理へ導くために、すべての解釈が構成されている。

それ自体は悪い事ではないだろう。

元々、「法の世界」において、永久普遍のルール・統一された解釈というものは存在しない。それぞれの立場・方向性によって様々な解釈が存在し、その中で「現在趨勢を占めるもの」が通説となっているに過ぎない。だから、裁判基準ですら年代・状況によって変わっていくのは当然のことだから。

その中で、検察側は「有罪」となるように理論を構築しそれにあった証拠を提出する。
弁護側は「無罪」となるように理論を構築しそれにあった証拠を提出する。
それだけの事に過ぎない。これは法解釈の世界においては当然の事。

 なので、この委員会報告はあくまで「被疑者弁護側主張」としてみるのが正しい見方だろう。

 だから、この報告書があるからと言って、「だから検察の欺瞞が証明された」などと言う人たちは、「さまざまな視点から物を考える」という行為を無視しているので非常に危険だと思う。
 民主党支持者には辛いかもしれないが、しっかりと「検証」していくのでよく読んでほしい。

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 さて、この基本的考え方により、ここではあくまで「被疑者側弁護主張」として、この報告書を読んでいくこととする。

 で、私の結論としては、「被疑者側主張としてはある部分においては間違った主張はしていない」ということになる。

 なお、これは「被疑者側主張として、その解釈論においてある部分においては一定の理屈が通っている」と言う事を認めているだけで、「だから被疑者側の主張が認められるべきだ」ということではない。この点には注意してほしい。

 特に、論理展開の途中で『司法権否定』をしてしまっている段階においては、この委員会は『異常者の集まりじゃないのか?』とすら考えていたりもする。

 実際、社会における結論については「裁判」の場において為されるものだから、ここで適否を述べる事はしない。(述べても個人的見解に留まるのであまり意味が無い) ただ問題なのは、この提言は「裁判上における被疑者側無罪論」としては弁護側主張として一部聞く価値はあるかもしれないのだが、「政治を担う存在」としての『政治論』としてはまったく聞く価値のない文章だと言う事だ。これは「法・裁判」とは関係が無い点なのでしっかり論じていきたい。


 で、一言で言えば、前回も苦言を呈したが、はっきり言って今回の第2章でも「法的無罪」を主張するあまりに「政治的問題行為」についての視点があまりにも疎かにしている報告書だといえる。

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 総論として、まず、この章をよく読んでいくと「政治資金規正法はザル法だ」から始まる。
 これは確かに事実だ。だが問題なのは、この「ザル法」に対する対応の部分だ。

 「ザル法だからまずい」この論理はいいだろう。だけど、なぜその結論が「だから政治資金は、資金を貰う政治家達ですべて管理・対応する。司法やそ の他の機関が規制・関与するな」というものになるのだろうか。
 簡単に言えば「自分達が貰う金は、すべて自分達で全て正しく管理できる。だから外部の目は必要ない」という主張を最後にしてしまっているのだ。
 このような考え方を、政治的にまともな考え方だといえるだろうか。
 元々「政治家達の自浄作用では、政治資金に関する腐敗を改善できない」という視点から政治資金規正法が生まれた。にも関らず「政治家は自浄できる」などと簡単に主張をしてしまう。これで、どうして与党の腐敗批判ができるのだろう。

 「権力は腐敗する」 これはよく言われる言葉だ。だからこそ、権力機構は腐敗しないようにセーフティ装置を作る。
 その一つが三権分立による相互抑制であり政治資金規正法だ。

 なのに、民主党はこれらのセーフティが必要無いという。
 「自分達は絶対に腐敗しない」とでもいいたいのだろうか。

 確かに自分達が聖人君子であるように振舞う事はいいかもしれない、だが、このようなメンタリティの人間が政治を取る事自体、問題だろう。
 どんなに優秀な人間であっても、権力の座にある限り悪徳の誘惑は必ずあり、その誘惑に打ち勝つために外部の協力を求める必要がある。
 このようなスタンスを取れる者こそが「正しい政治家」のあり方だろう。
 そのような意味で言えば、この委員会報告は、自らの腐敗に対する外部からの防御措置を求めない以上、政治家としての重要な資質・視点が欠けている。
 この時点で、この委員会の人間は政治を知らない、権力の誘惑を知らない無知な集団といわざるを得ないし、このような報告を求めてしまった民主党自体もその能力が疑われても仕方が無い。

 また、もし「政治家が、司法の手による規制を受けなくても自浄できる」と主張するのであれば、自民党等の政治資金などについても「監視の目が無くても当然、自浄できるはず」としなければならない。
 だが、実際にはどうだろう。民主党は自民党の活動については「自浄できない」と激しく批判しているのが現実だ。

「自分達(民主党)だけは正しく自浄でき、他人(与党)は自浄できない」
 このような主張を臆面も無く言うようでは、「本質的に問題のある」集団と言えるのではないだろうか。

 さらに、政治資金規正法は確かに「制度上問題がある」法律だとは思う。
 だから「法の不備を批判する事」自体は正しい事だ。
 だが、その法の不備を指摘し批判する一方で、その『法の不備』による恩恵を当然のごとく受け取るのはどうだろうか。
 一方で批判しながら、その恩恵については『当然のごとく』受け取る。これで正しい批判をしているといえるのだろうか?

 今回の問題では、法の不備により『罰せられない』という可能性があると結論付けている。
 正しいか間違っているかではなく「法の不備により罰せられない」としているのだ。
 それを前提とした上で、今回の行為を『だから何の問題も無い。政治資金規正法どおりなのだから』と結論付けている。
 なぜ「不備が問題だ」としながら「不備による恩恵を受けることに問題は無い」とするのだろうか。
 「法的には問題がないかもしれない。だが政治的には問題のある行為だ」なぜこのように記述できなかったのだろうか。
 
 このように記述する事ができなかった時点で、この報告書が偏向していると見られる事を予測できなかったのだろうか。
 「何のために調査しているのか」、この報告書はこの本質を忘れているとしか思えない。


では、実際、細かい点について見ていこう。
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 ◆ 1.総務省の任務としての政治資金行政
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 P.12
 "政治資金をめぐる事務処理は、政治資金行政として総務省を通じて日常的に展開されており、具体的な処理基準等の提示や事務処理にかかわる助言・指導、説明要求・訂正命令などの関係者に対する監督権限の行使は、同省の責任において遂行される行政任務そのものである。"
 
 その通り。助言・指導、説明要求・訂正命令などの「適切な申告処理について」の監督・指導権限は総務省にある行政行為となる。
 この解釈自体には特に問題は無い。
 これを前提として以下の話が進むのだが、問題は「外形上」の「適切」(な方法による申告)が為されている場合、「実質内容との差異がある(または内容面において「記載を求められてはいない」が問題のある行動が見られる場合」についてどのように扱うか、という点だ。
 
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 ◆ 2.政治資金行政の仕組み
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 P.12より 2-1.基本的な制度設計
 "行政法規に刑罰が置かれている場合(これを「行政刑罰」という)、行政法規は行為者の一般的な行為規範であると同時に犯罪構成要件としての意味も有する。したがって、行政法規に違反した場合は、『行政庁による監督処分の対象となる場面と刑罰権発動の根拠となる場面が、重なって現れること』に注意を要する。そして、一般に刑罰は国家に認められた最も苛烈な人権侵害行為であることから、行政法規違反については、より緩やかな措置である行政措置が優先的に適用されるべきであり、『刑罰権は「最後の手段」として、一般行政で対応できない場合に初めてその発動が正当化されるべきもの』ということができる。"
 
  この論点は、私も支持する。
  ここで第3者委員会自らが示すとおり、行政法務において刑罰が設定されている場合「行政処分と刑罰権(司法介入)の両方が重なって現れる」事がある。身近な例で言えば、交通事故などにおける「運転免許取消」(行政処分)と「業務上過失傷害罪」(刑罰)などだ。これらは「免許取消になったから業務上過失傷害が問われる」というように連携しているものではなく別個にそれぞれ判断されることであって、独立して判断される。
  そして刑罰は、受刑者にとって社会生活上非常に制限を与える行為となる以上、その運用には十分な配慮が求められるものであって安易に刑罰に頼るべきではないだろう。刑罰権は「最後の手段」という表現は確かに十分納得できるところではある。
 
 
 P.13より 2-2.報告書の「真実」記載義務
 "仮に、法が実質的真実の探求を行政庁に要求し、現実の出捐者を究明すべきことを求めているならば、それを可能とするような政治団体事務所への立入権限や帳簿書類等の検査権限等の実質的審査権が付与されていなければ法目的を達成することはできない。しかし、現行法にはそのような規定はなく、法は真実性の探求について限度を設けていると理解される。"
 
  その通り。"真実の探求"については行政側にはない。
  ここまでは百歩譲ってもよい。だが、よく読むとこの論理をおかしくは感じないだろうか。
 
  真実探求については「行政庁に与えられていない」としても、だから「法そのものが真実性の探求について限度を設けている(真実探求については深く求めていない)」とするのはいかがなものだろう。
  政治家の政治資金の出所がどこなのか、その真実を知りたいというのは、国民として当然の権利だし当然の考え方だろう。自分達が支持する(または反対する)政治家が、どこの誰からお金を貰っていようが、誰とつながり誰の為に動いているか知る必要は無い、などと考える国民はまずほとんどいないだろう。
  ならば、誰かが「真実を探求する必要」がある。
 
  これについて、実は3で、ついにこの委員会はとんでもない事を言い始める。
 
 
 
 
 
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 ◆ 3.政治資金規正法における「虚偽」の意味
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 P.14
 "もともと政治資金規正法は政治活動に対する行政の関与を最小限にとどめるべきであるという趣旨から、総務省による一般的な行政上の監督ですら抑制的であるべきとしていたはずである。総務省ですら関与を控えている事案について、警察・検察という別の行政機関が、総務省とは異なる独自の解釈にたって逮捕という強烈な人権規制行為に及ぶことは、法の趣旨に照らし、明らかにバランスを失しているというべきであろう。このように考えると、虚偽記入罪について実質的真実を要求する解釈は、法の示す価値判断に逆行するもので、不合理というほかない。"
 
  もはや『異常者』の集団。屁理屈に屁理屈をこねた論理展開は、お話にならないだろう。
 
  まず、政治資金規正法上行政介入の抑制のため「行政庁の真実探求権限が『形式的なもの』しか設定されていない」。だからといって、「だから実質的真実探求をする必要が無い(求められていない)」などというのは暴論過ぎるのではないだろうか。
  さらには、警察・検察を「行政機関」と位置づける事ができる思考が一番笑いを誘う。
 
  確かに「人事権」や一部行政業務を法務省や警察・検察は担っている。だが、検察・警察(司法警察)は、あくまで「司法権」に基づいて活動する機関だ。
  ここで実質判断を行い、捜査・逮捕・公訴する事を『行政』というならば、どこに司法機関が存在するのだろうか。
  また、今回の一件で言えば、捜索令状・逮捕状を出した(認めた)のは裁判所だ。
  この「司法」である「裁判所」に令状請求した事・令状にしたがって執行した事を「行政行為」というのだろうか。
  
  確かにザル法である以上、この逮捕・立件行為が適正だったかと言われると、それは微妙なところだとは思う。検察の詰み筋においては、少々無理筋に近い組立部分もあるのではないかという考えは、自分も多少持っている。
  しかしながら、「司法」行為の一環として捜査・捜索・逮捕をした事を「警察・検察は行政機関だから」という訳のわからない論理で否定する。
  これはもはや「日本に司法は存在しない」と言っているに等しい暴論だろう。
  さすがに、こんな論理は許せないところだ。
 
  そもそも今回の問題に戻れば、行政が実質的真実探求できなければ、誰が行うかという問題がある。
  私は、国家上の三権分立の法制度上でいえば、それは本来「司法」が探求する場を担うべきだと考える。
  だからこそ、行政刑罰が設定されていると解すべきだと考えている。
  刑罰設定があるからこそ、司法の場において(裁判の場において)真実が探求できるのだ。
  よって実質的真実探求(実質的な正当性についての探求)は、現状、司法に設定されていると解すのが相当だろう。
 
  今回の場合でいえば、「一般行政対応ができない」(形式的な真実探求ができない)事例であり、最後の手段として「司法が動いた」に過ぎない。
  つまり彼らの主張によれば「行政が動かず、司法が動いた事は正しい」という論理が導かれないとおかしいと考えている。
 
  ところが彼らはそれを否定する。
  裁判所が認めた令状執行ですら「警察・検察は行政機関に過ぎない」と暴論を吐き、否定する。
  それはあまりにも無茶苦茶としか言えないだろう。
 
  ここまで書いてしまっている時点で、この報告書がザル以下の「でっち上げ論理」だと言い切ってもいいだろう。
 
  繰り返すが、真実を自ら書かなかった場合、それは行政「刑罰」対象として『司法』の手にゆだねられる場合がある。
  つまり、真実探求については本来『司法』が担うべきモノと考えてよいと思う。
  にもかかわらず、「行政に真実性の探求について限度を設けている」という理由だけをもって「法は真実性の探求について限度を設けている」と解釈して、だから「真実を書いてなくても構わない」という理屈を展開する、さらには「検察・警察は行政機関であり『司法判断』(行政と異なる判断)をしてはならない」などというのは、不当すぎる主張だといえるだろう。
 
 
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 ◆ 4.行政刑罰における罪刑法定主義の意味
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 縦割り行政の弊害として、行政基準が提示されていない事の問題については、私も同じだと思うので、ここに異論は無い。
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 ◆ 5.政治資金規正法違反に対する制裁のあり方
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 P.15
 "現行法は、政治資金規正法違反行為に対する制裁として罰則を中心に規定している。罰則を置くということは刑罰権の発動によって行為者に制裁を加えるという制度設計であり、処罰対象者が国会議員である場合には、立法府の活動に対する警察・検察当局による権力的介入を立法者みずからが容認していることを意味している。"
 
  当たり前。
  立法府だから無制限に権利がみとめられているわけではなく、あくまで三権分立による相互抑制は求められている。
  実際、司法が行政の不法行為、立法府の不法行為に対し、審査・制裁権が与えられている事は、違憲立法・行政審査権などを踏まえ、当然のごとく憲法上においても認められている。
  ならば「政治家の集める政治資金」であっても、「司法権による権力的介入」は認められるのは当然のことではないだろうか。
 
  なのにこの委員会では、三権分立の相互抑制を以下のように否定する。
 
 "しかしながら、本来、政治資金については政治家が自ら律するべき問題であるという原点に立ち返ると、自らの不始末は自ら糺すという見識を持って、制裁措置についても議会自身がこれを発動するような仕組みを工夫することが望ましい。"
 
 "安易な罰則への依存は、法執行を警察・検察当局に依存することと同義であり、立法技術の観点からみても稚拙というほかない。"
 "具体的には、立法府の中に独立性の保障された機関を設けるなど、外国の例も参考に、政治資金の扱いに関するルール設定、制度設計について、国会において新機軸の議論が活発に行われることが期待される。"
 
  もう憲法の基本理念すら、たかが第三者委員会ごときが否定にかかるとは思いませんでした。
  確かに国会において調査・管理できる機関が必要だとは思う。だが、その「法律上の最終判断」はどこまでも司法が担うものであって、立法府が担うものではないだろう。
  自ら法を作る側がその法の執行についても最終的に管理する。そんな事、まともな法学者なら主張することなどありえない。そう思っていたのだが、どうやら間違いだったようだ。
 
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 以上の様に、三権分立否定論まで飛び出すような、この報告書。民主党を擁護する人は「報告書が出たからいいんだ」と擁護する人が多いだろう。だが、このように「憲法上認められた三権分立」すら否定にかかるこの報告書を「錦の御旗」のごとく扱うのは、逆に民主党を傷つける事になるのではないだろうか。

  その点を考えた上で、もう少ししっかり読んでから擁護するべきだろう。
 
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 さて、とりあえず、3章の検察批判までは論じたいと思う。
 でもネットの様子を見ると、この報告書についての議論がとても少ないと思う。
 賛成者側からの意見が特に少なすぎる。

 これは、やはり「まともに読めば」穴だらけだと解っているからだろうか。

 もし、きちんと判断して「沈黙を守っている」のであれば、まだまだ民主党擁護派も捨てたものではないだろう。

 ただ、それでも「批判はするべきだ」と思う。
 政治において一番まずいのは、沈黙を通して「見なかった事」にしてしまう事だから。
 少なくとも、よりよい民主党を望むのであれば、賛成派もきちんと検証するべきだと思う。

 それが、政治に参加する上での第一歩になるのだから。

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 ちなみに、本日は千葉市長選。隣の市だし色々あってリフレッシュをしていたため、ほとんど情報は仕入れていない。
 だから、こっちの検証はできないのだけど、それでも趨勢はこの後見守っていく事にしたいと思う。
 で、何か考えがまとまったら書きたいところではあるが……
 こっちは期待しないでほしいんだな、それでは。

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