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いつまで持つことやら2009年09月01日 00時00分00秒

週内にも連立協議入り=民主、社民・国民新と-小沢、菅氏ら要職に
8月31日20時32分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090831-00000189-jij-pol

人は、共通の敵が生じた時、自分達の我を捨てて結束する事ができる。
よく言われる真理の一つ。

今回の選挙によって、民主党が圧勝した。
ここで、間違えて欲しくないのだが、「勝った」のは民主党だけだと言うことだ。

選挙前の勢力と選挙後の勢力、比較してみるとそれがよく判る。

   選挙前  選挙後
民主 115    308
自民 300    119
公明  31     21
共産  9      9
社民  7      7

- Yahooみんなの政治 より
http://senkyo.yahoo.co.jp/

単に民主党と自民党の数字が入れ替わったに過ぎない。
(後、公明の席が民主に流れただけ)
その他の政党の貢献度は「全くなかった」と言ってもいいだろう。
さて、この状況下で民主党が他と連立を組む必然性があるだろうか?

はっきり言って「無い」。

 参議院の関係もあるため、今のところ一応連立協議をするとは言っているが、元々、民主・社民・国民新党は「全く違う政治理念」の政党。共通していた意識「打倒自民党」がなされてしまった以上、このまま「共通した意識」で活動する事はできないだろう。

 最初の頃は様子見で、連立協議をするフリはするだろうがいずれ崩壊する事は目に見えている。何とか一年は持たせたいところだが、早ければく次の通常国会あたりで崩壊するだろうというのが、私の読み。

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さて、今回の選挙。
はっきりいって、総括すべきところは何もない。

民主党を勝たせすぎたのが国民の意思である以上、「仕方がない」としかいえないから。

ただ投票した人たちに、きちんと意識して欲しいのだけど、
「誰かが自分達の生活を変えてくれる」と言うことは無い。

どれだけ他人が努力したところで、「自分を変える」のは「自分」にしかできない。

これから、4年、良くも悪くも大きく変わる事が起きるだろう。

それに「ついていけるかどうか?」は自分達の力量次第だ。
自分が変わることもできず変化についていけなかった時、それを「政治の所為」にするのだけは止めた方がいい。

それでは小泉改革について行く努力もせず非難していた時と変わらないのだから。


「黙って付いていけば、誰か(国会議員)が生活を変えてくれる」

……それは「自分の人生を他人任せ」にしてしまう事だよ。

「共産党 志位和夫」と書け!!2009年09月06日 15時47分28秒

白紙投票「憲政の常道に反する」=石破農水相
9月6日14時42分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090906-00000030-jij-pol

 まさに「その通り」だと思う。

 よく「白票を投じ自分達の反対の姿勢を示すのだ!!」という人がいるが、これは大間違い。
 単に「選ばなければいけない責任」をかっこつけて放棄しているだけだ。

 どんなに最悪な二者択一の状況であったとしても、その「最悪な選択」の状況を招いたのは、それまでに活動してこなかった自分達にある。
 だから、その選択の段階になって「白紙・棄権」と逃げ出すのは卑怯で無責任な話でしかない。

 こう書くと「周りがそのような状況にしたのだ」と言う人がいるだろう。
 だが、それは間違いだ。
 それも「自分達が何もせず他人任せにした」結果だ。
 悪い状況になるのを見過ごし、他人任せにした自分達の責任だ。

 それを「自分は悪くない」「選んで悪くなる責任を取りたくない」と逃げる。
 無自覚・無責任にも程があるだろう。

 選挙でよく投票率の悪さが指摘される事がある。
 この時「少なくとも白紙投票をしているので、無投票の人よりも私達は正しい」という人がいる。

 はっきり言ってどちらも「同じ」。
 どちらも「役に立っていない」無駄な行為でしかない。
 むしろ「参加した気になっている」分、白紙投票をした人間の方が本当は問題だろう。

「自分達が考えて投票する」そして「投票した結果は、投票した自分達が責任を負う」

 そんな当たり前の事が通じる世界になって欲しい。

 何度も言うが、白票は無責任の表れでしかない。

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 さて、では自民党はどうしたらいいのか。

 私は思い切って「志位和夫」と投票するのが良いと思う。
 なぜなら「民主党よりもまだ共産党の方がマシ」と明確な意思表示をする事になるからだ。

 これは棄権や白票ではない。

 実際、私自身は「嘘しか言わない・都合よく主張を変える・政治に対する信念がない」民主党よりも、多少間違った路線ではあるが「政治家として信念がある」共産党の方が、国際社会においてもその「立ち位置」は安定すると思っている。
(原則として敵か味方かはっきりする)

 国際・国内社会において、何よりも大切なのは「信頼」だ。

 これは「考え方が正しい・間違っている」という事とは次元が違う。
 「発言と行動・考えていることが一致しているかどうか」という事のみの問題だ。

 ここが非常に問題で、今の民主党では「正しい・間違っている」を論ずる以前に「発言と行動の一致(言行一致)」の信頼が低すぎる。
 また「政治的信念・方針」自体においても、民主党は「なさ過ぎる」。

 民主党は皆に聞いてから考える、状況に応じて考える。と、耳に心地よい言葉を述べてはいるが、その根っこの部分で「基本方針」が存在しない。
 その都度場当たり的に立てた「現状の方針」しか存在しない。

 これでは、どの社会でも通用しないだろう。

 その点、共産党においては「正誤はともかく」、政治理念・基本方針だけは、まずしっかりしている。
 そのため、後で議論する段階においても非常に「論点が明確になりやすい」。

 国際社会においても「どこまで付き合えばいいか」が非常によく判るため、政治的交渉もしやすくなる。

 これが「民主党よりも共産党が優れている」点だ。

 何なのか判らない「民主党」よりも、政党としては優れている「共産党」
 社会において、今、有益なのは「共産党」の方。

 だから、日本という国家の行き先を考えるのであれば、自民党は「内ゲバ」などせずに「志位和夫」と書き、「民主党よりも共産党の方がまだましな政党だ」と宣言することこそが必要だろう。



※ ちなみに「国民が平和で幸せに暮らせる世界」というのが基本方針・政治理念だという人がいるかもしれないが、これは基本方針・政治理念にはなりえません。
 どんな政党であっても「国民が平和に幸せである国家を構築する」事は大前提であって、これを掲げない政党・政治家などありえません。
 本来、「国民が平和で幸せに」暮らすために『どのような国家制度を構築するか』という事、これが個々の政党の政治理念・基本方針です。

 ところが、民主党の一番の問題は、この理念・方針が「国民の声を聞いてから考える」という形でいつも作る事にあります。
 そのため、党としての方針・理念を国民に提示できない。「第一党になってから考えます」「聞いてから考えます」という形になります。
 これではいけない。
 国際・国内社会において「あなたの考えを聞きたい」と言っているのに、「みんなの意見を聞いてから考えます」というのでは対等な存在として相手にされなくなります。

「あなたの意見」を聞いているのに「みんなの意見を聞いてから、そこそこの意見を述べます」というのでは、独立した個としては認められません。
 このような存在には「じゃあ、”あなた”はいらない。全員で決めるので、その後決まった事に従えばいいでしょう」ということになります。

 だからこそ、民主党は問題なのです。

「最も無駄」な選択 -八ッ場ダム中止命令 12009年09月18日 18時13分43秒

「国の都合だけでいいのか」八ツ場ダム中止に群馬知事
9月18日13時20分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090918-00000574-san-pol

川辺川、八ツ場ダムの建設中止=首相、国交相が明言
9月17日19時12分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090917-00000189-jij-pol


 政権交代の間しばらくは様子見をしようと思っていたのだが、いきなり大失策をしてしまっているので書く事にした。

『八ッ場ダムの建設中止命令』

 民主党が「物事の基本」そのものについて、全く判っていない事をいきなり証明した一件だ。
 こう書くと、八ツ場ダム推進派だからとか、自民党びいきだからだとか批判する人もいるかもしれないが、そんな事は無い。

 八ッ場ダム中止なら中止でも構わない。

 だが、今、ストップする事が、物事の「道理」「原理原則」そのものから外れている「間違った判断」だと言う事がいいたいのだ。
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 世の中、過去から未来へと続く時間の中で、どんなモノでも常に選択肢が3つある。

1・そのまま使い続ける。
2・修理・改善をして、今の状況に即した形に変える。
3・古くなったものを捨て、新しいものを導入する。

 この3つだ。

 当たり前だと思う人がいるだろう。その通り、これは当たり前の「真理」だ。子供でも分かる。
 そして、これ以外の選択肢はどこにも存在しない。

 目の前のPCだって、「初期のまま使い続ける」か「増設して利用しやすくする」か「新しい機種に変える」以外の方法は存在しない。

 このように、これは単純で当たり前の「真理」だ。

 ただし、この「真理」については、さらに一つの絶対原則が存在している。

 それは「他の手法と併用できない(同時にはできない)」と言うことだ。

・「そのまま使い続ける」のであれば、その期間中「改善」はしないし新しい物を使う事はない。
・「修理・改善をする」のであれば、「そのまま使い続ける」事は当然できない。
・「修理した機種を使いながら、新機種も同じ所において使う」という事はありえない。
・「古くなったものを捨て、新しい物を導入」しながら、古い機種を使い続けるという事もありえない。
(すでに捨てているのだから、使い続ける事ができない)

 このように、どれか一つの方法を選択し実行を開始した時点で他の選択肢は実行する事ができなくなる。

 これも「真理」だ。


 さて、今回の八ッ場ダム。
 これは単純に言えば「3」を選択した状況といえるだろう。

「今までの吾妻渓谷・川原湯温泉・周辺集落その他の状況」を捨て、「新たな八ツ場ダム・新たな川原湯温泉・新たな周辺集落」を取得する。

 これを、何十年もかけて、住民も含め全員で紆余曲折を重ね選択した状況だ。

 いわゆる「スクラップ・アンド・ビルド」(古い物を壊して新しい物を作る)・(古い物を捨てて新しい物を買う)の原則で動いている状況だといっていいだろう。

 そして現在は、すでに「用地取得・周辺施設の建設・住民移動」などが行われている状況。つまり『すでに「スクラップ」はほぼ終了した』状況だ。

 この状況で、ストップをかけるということは、どうなるだろうか。

 今、目の前にあるのは「スクラップの山」だけだ。

 そのスクラップを前にして「どうしようか」と悩んでいる。
「スクラップ・アンド・キープ」の状況だ。

 これが、いかに不自然で馬鹿げている状況か、考えれば判るだろう。

 「もったいない」という良い言葉がある。この精神は大切だ。
 だがこれは、「使えるモノを捨てるのはやめよう」、という事であって「ゴミと化したものを元に戻そう・捨てずに取っておこう」という事ではない。

 「もったいないから」と言う理由で、「すでにスクラップ(ゴミ)になっているもの」を大事に取っているのは、ゴミ屋敷の人が『使えるから取っておくんだ!!ゴミじゃない!!』と叫んでいるのと同じ考え方でしかない。

はっきりいって無駄以外の何物でもない

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 しかし民主党は今回「保留・停止(凍結)」を選択した。
 また、今から元に戻す事ができるとすら思っている。

 「すでに捨ててしまっているのに」だ。

 そんな事、できる訳がない。あまりにも愚かすぎる発想だ。


 すでに住民もほとんどが「新しい生活を送る」事を選択した。
「今までの生活」は捨ててしまった。捨てたものを戻す事などできない。

 仮に、見た目戻ったとしても、住民全員の中に「捨てた」意識だけは一生残る。

 これで「元に戻った」と、本当に言ってもいいのだろうか。

 私にはとてもそうは思えない。

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 「じゃあダムを作れというのか」
 そう、ヒステリックに非難する人がいるだろう。

 それは違う。ダム建設が正しいかどうかは別問題だ。
 今回、問題にしているのは、そこじゃない。

『スクラップ・アンド・「ダム」ビルド』が間違いというなら、それはそれでいい。

ただし、それならば
『スクラップ・アンド・「アナザー」ビルド』がなされていなければいけない、と言っているのだ。
『スクラップ・アンド・ビルド』で「一つの真理」である以上、スクラップの後は「何かをビルド」しなければ完結しないのだ。

 これを止めるのは大失策以外の何物でもない。

 何度も書くが、「ダム建設を進めろ」と言っているのではない。
 「(ダム)ビルド」を止めるなら「(代替)ビルド」に『置き換えられる』ように準備しておかなくては駄目だ、と言っているのだ。

 ところが、民主党は「ダム中止」のみしか考えていない。
 「代わりの何か」をまったく提示できていない。

 「スクラップ・アンド・ビルド」の基本を無視し、「(ダム)ビルド代」がもったいないから、というだけの理由で、「スクラップ・アンド・ストップ(キープ)」というありえない方策を取っているのだ。


 これが、民主党の考え方が「根本から間違っている」という意味だ。

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「覆水盆に返らず」という言葉がある。

 『一旦、こぼした水はどれだけ惜しんでも、元の入れ物には戻せない』という意味だ。
 更に発展した考えをもてば、「こぼした水を惜しむより、新しい水を注ぐべきだ」という事もできる。

 ところが、民主党は「こぼれた水(八ツ場地域)」を惜しむだけでなく、新しい水を注ぐ事もやめてしまった。

 「ダムが無駄」というのは、「『新く注ぐ水』がまずくて高い水だ」と言っているようなものだ。もしかするとそれは正しいのかもしれない。

 ただ、それならば、『もっと良い水』を注げばいい。

 そんな準備もせずに、「高い水は嫌だ、こぼれた水がもったいない」とだけ嘆き、「あいつが無駄にこぼしたのが悪いのだ」と官僚批判・自民党批判の愚痴を言い続け、ただ空の器を持ち続けている。

 これが、今の状況だ。

 この状況こそがどれだけ無駄な事なのか理解するべきだろう。
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