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「偶然の結果」は「間違った手段」を肯定するか?2007年09月04日 22時20分47秒

世の中は、たいていこのように動いていると思います。

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決まった原材料を集めた。
決まったプロセスで生産した。

結果、いつもほぼ同じ製品ができあがった。

単純な仕組みです。
だから、誰にでも認められる「スタンダード」です。
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一方、

いつもと違う原材料を、間違って入れてしまった。
いつもと違ったプロセスで、間違った作業をしてしまった。

でも結果、いつもよりいい製品ができた。

「いい製品ができたのだから、ミスは問わないでおきましょう」
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これはいいことなのでしょうか?

「偶然よくなった」 という不確定な産物によって、
「ミス」を無かったことにしていいのでしょうか?

では「偶然悪くなった」時にはどうするのでしょう?
その時だけミスを責めるのでしょうか?

それでは標準的な規範としての意味がありません。

偶然に頼ることなく、「ミスはミス」としてまず正すこと。
その上で、「よい偶然」を評価すること。

この二つが必要だと思います。

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…さて、何でこのようなことを書いているかと言えば、
久々に、昔書いた「秋篠宮家の妊娠論」にコメントがあったからです。

この話、異論を述べる人の意見の多くが、
「偶然よくなった」だから「間違いを指摘するな」と言っているようにしか聞こえません。


私としては、「よくなった」ことは百歩譲って認めるとしても、
「過程に問題があった」という事実を「無かったこと」にはできないのですがね。

どうなんでしょう?

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