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災い転じて福と為す(1)2011年03月16日 22時37分30秒

 「今まで」だけでなく「これから」も考えてみること、そろそろ復興のための方策を考えてみるのもいいと思うので、個人的に思う事を幾つか述べていきたいと思う。
 
 思いつきでまずは書いていっているようなものなので、まとまっていないかもしれないが、参考になれば幸いだと思う。

 さて、まず前提となる考え方だが、私としては、復興とは言っても「前の状態に戻る」というのは間違った方向性だと考えている。
 むしろ「前の状態」により今回引き起こされた問題点を元に、それを改善した「新しい日本」の体制を構築するように努める方がいいと考えている。

 元々、日本は60年も前に、一度全てを失った。

 その後、戦後復興から高度成長へと繋がり、世界においても信じられないほどの国力を誇り『日本』というものの凄さを世界に見せ付けるまでにいたった。
 戦争により焼け野原となった日本が、たった60年でここまで復興した姿は、世界随一といえるほどの成長力だっただろう。
 実際、日本のこの成長については、後進国において幾度もそして今も参考にされている。
 国土の狭い日本の成長力は、世界から見ても奇跡と言えるほどなのだろう。

 結果、それは日本というブランドとなり、世界において「日本」という国、「日本人」という存在への信頼度に繋がり、今回の地震での日本に対する支援にも繋がっている。
 確かに日本は小国かもしれないが、「日本」という存在自身が崩壊した場合の今後の世界秩序という問題から考えれば、「日本」という国の持つ、中立性・信頼度については、ロシアですら支援し適切な復興を願っているほどのものだといえよう。

 日本人自身は日本を低く見積っているが、現政府に対する評価自身はともかく、世界において日本の「信頼度」は極めて高いという事をもっと知るべきではないだろうか。

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 さて、話を戻すが、戦後復興は決して「戦前の繁栄」に戻す事ではなかった。
 あくまで「新しい日本」を創ることにあった。

 だが、その一方で「戦前の全て」を否定していたわけではない事を忘れてはいけないだろう。「戦前日本」の持つ良い点も、この復興においては同時に継続されていた。

 確かにアメリカを中心としたGHQ主導による復興政策だったかもしれない。だがこの復興において、なおも「戦前日本」を全否定することなく良い点は残しつつ「戦前とは異なる日本」を構築したのは日本そのものの功績だといえよう。これは戦勝国であるGHQだけではできない事だったと思う。

 実際、これは、その後、各地でアメリカが介入し「過去の否定・新体制の構築」をした事により混乱を招いたベトナムやフィリピン、中南米、その他現在のイラク等の情勢や、共産主義体制の崩壊による全否定からなる東欧、ロシアの混乱情勢を見れば、「悪い過去は否定しつつ、良い過去は受け入れる」日本の思考の有用性は理解できるのではないだろうか。

復興とは「前の状態」に戻す事でもなく「前を破壊して」新しい状況を作るのでもない。
「前の状態の良い点」を維持したまま「改善」し「新しい状態」を構築する事にある。

 繰り返すが、これが私の考え方の基本になる。

 今回、日本は多くの物を失ったが、ここからの復興を世界に示す事ができれば、現在、「前の秩序」を破壊し今後多くの混乱が予想される中東情勢と比較しても、「日本」の価値観、日本的思考が世界において大きな力となるのではないだろうかと、私は考えている。


計画停電と交通渋滞について
各企業の労働体制の見直し

 さて、現在、関東では計画停電が行なわれている。
 ほとんどやった事が無いので多少の混乱が見られているが、この混乱自体は何度も行なう事によって徐々に慣れて安定を取り戻していく事だろう。

 そもそも、毎日同じように電気が与えられるのが当然と考えている事自体が、本来、世界から見て「異常」なのだ。世界中アメリカですら映画でも見られるように、災害時やテロで停電し復旧に時間がかかるのは当然だという思考が根付いている。

 ここまで電気や水が「あって当たり前」というのは日本ぐらいのものだろう。

「災い転じて福と為す(2) 出勤の価値は?」

災い転じて福と為す(2) 出勤の価値は?2011年03月16日 22時47分43秒

<< 災い転じて福と為す(1)

日本人の甘えについては今回の論点ではないのでこの辺で。

 今回の論点としたいのは鉄道や道路、いわゆる輸送力の問題。
 発電量が少なくなる以上、鉄道網もその影響を受ける。

 そのため通勤や通学に影響が出「鉄道を避けるために」自動車での出勤などを図った結果、交通網全体にも影響が出始めている。

 今回、なぜこんな問題が発生したのか。

 それは「ピーク時の輸送量」が確保できていない事が明らかにもかかわらず「ピーク時に利用する」という事にあると私は考えている。

 全員が「同じ時間帯」に鉄道や交通機関を一斉に利用するために、輸送量が一時的に拡大してしまうため非常に大きな負荷が発生してしまっているのだ。

 日中について言えば、たとえ50%の本数に減ったとしても、元々、通常の輸送量が一列車あたり50%以下である以上満員になることはないだろう。
 実際、都心の列車で日中に『満員すし詰め状態の列車』など見た事があるだろうか?
 はっきり言って私はほとんど無い。よほどの事が無い限り、座っている人と同程度の立っている人がいる程度の混み具合の列車しか見た事が無い。

 そこから考えても、50%前後の輸送量が確保できれば、現状でも十分対応可能だと思う。

 結局、問題なのは一列車あたり100%を遙に超える「ピーク時(朝夕出勤退勤時)」のフォローがしきれないことだ。
 これは「物理的にどうしようもない」状況であり、電力会社や鉄道会社、また道路交通機関に対応を依頼しても仕方がない。すでに満杯状況なのに、頼めば道路や列車の通行量が2倍以上に増えるなどと考えるのは、もはや愚かな考えだといえるだろう。

 ならば、どう対応するか。
 簡単だ。「運ぶ量」に比べて「運ばれる量」が多すぎる事が原因である以上、「運ばれる量」を減らせば解決する。

 ここで多くの人に尋ねたい。

 そもそも、なぜ「全員、同じ時間」に出勤する必要があるのだろうか。
「全員、同じ時間」に出勤していなければ、企業は活動を維持できないのだろうか。

 そんな事は無い。

 それぞれの仕事の進捗状況を考えれば「全員が同じ時間」に仕事を始める必要などまったく無いのは、誰でも想像できるだろう。

 したがってこの問題、実はピーク時出勤を避けある程度平均化していけば何の問題もなく対応できる話なのだ。

 さて、思い出して欲しい。
 元々この手の話は、フレックスタイム制や時差出勤制という事で推進されていた「はず」だ。ところがこれらは言葉だけで終わり、各企業も結局「皆並んで」同じ時間帯に出勤し同じように労働する事しかしてこなかった。
 それが、今の「ピーク時とオフピーク時」との移動人口量の差という形で出て、過負荷となっているのだ。

 ならば、どうするか。

 ここまでくれば簡単に想像できるだろう。

 各企業、今回の一件を契機に「本気で」フレックスタイムや時差出勤制の導入を推進していけばいいのだ。

 それだけで、今回発生した問題の多くは回避できるだろう。


次回:「災い転じて福と為す(3) そもそも、出勤する必要ってあるのか?」
……に続いた。時間オーバーで一日ずれたけど(泣)

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本日の一曲
坂本九「明日があるさ」


……しまった、これだと「毎日同じ時間」に駅に行かないといけない (^_^;

あけぼのではないけれど2011年03月16日 23時14分21秒

 春はあけぼの。


 やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。


 夏は夜。

 月の頃はさらなり。
 闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。

 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。
 雨など降るもをかし。


 秋は夕暮れ。
         
 夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。
 まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
 日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。


  冬はつとめて。

 雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。
 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白い灰がちになりてわろし。

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計画停電。

人工の音もなく、人の手による光もなし、
されど、生けるモノの声あり、星の光あり。

これで、何が「つまらない」状況なのでしょうか。

災い転じて福と為す(3)そもそも、出勤する必要ってあるのか?2011年03月18日 00時16分00秒

>>災い転じて福と為す(2) 出勤の価値は?

 さて、昨日に続き、物流・電力消費その他多くの状況に過負荷をかける「人の移動」そのものを今日も問題にしたいと思う。

 昨日も取り上げたが、電力量の問題は「1日全体」で見れば多少制限はあるとしても平時の行動としては、多少の不便はあっても大きく問題の無い電力量は維持されているので、特に困る事はほぼ無い。
 ただ「一時的なピーク」が限界量を超えてしまうために、制限をかけておく必要があるのだ。
 また、物流、交通事情に関しても同じ。
「一時的なピーク」が限界を超えてしまうために渋滞が発生するのであって、慢性的に問題があるという状態では無い。

 結局「一斉に通勤・通学をする」というシステム自体に問題がある。というのが自論の一つだった。

 そのため昨日は「一時的に発生する人口移動のピーク」を軽減する事を目的として「フレックスタイムや時差出勤制」の本格的導入を挙げてみた。

 今日は、この考え方を更に発展してみたい。

 人が移動するから「物理的」に交通設備が占有され、他の物流に影響を与えてしまう。人の移動のために交通機関が「電力・石油エネルギーを消費する」から、他の必要なところにこれらのエネルギーが渡らなくなる。
 ならば「人が動かなければ」これらの消費は軽減される。これは至極、簡単な論理だ。

 では、なぜ人は移動するのだろうか?
 それは会社や学校に行くためだが、そもそも根本を確認したい。

 自分達の仕事は「毎日、必ず出勤しなければ」できないレベルの仕事なのだろうか?

 そんな事は無い。書類作成業務や相手との打ち合わせ、その報告が仕事の大半を占めるなら「会社で行なう」必要などない。
 実際、自分の仕事を振り返って欲しい。
 確かに「デスク」がなければできない「デスクワーク」が主だろうが、それは「会社のデスク」でなければできない仕事なのだろうか?

 元々ICT革命に基づくネットワーク推進の一つに「在宅勤務」等の発想があった。

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「総務省 テレワークの推進」より抜粋

1 テレワークの意義・効果
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◆環境負荷軽減
・交通代替によるCO2の削減等、地球温暖化防止への寄与
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◆非常災害時の事業継続
・オフィスの分散化による、災害時等の迅速な対応
・新型インフルエンザ等への対応
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参考:総務省 テレワークの推進

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 この思想自体は、ネットが盛んになり始めた2000年ごろにはもう言われ始めていたが、当時はネット回線自体の脆弱さもあり、一般には普及しづらかった。
 だが、情報通信技術の発展、特に情報量・速度の向上が見られADSL・光回線の普及された時には、すでに「実現可能」な構想だったはずだ。
 さらには、物理的に接続したオンラインゲームだけでなく、家庭用ゲームですら無線LAN接続が可能となった現状においては、端末をモバイルする事など「誰でもできる」レベルにまでなっているのだ。

 なのに、なぜ未だに「物理的に」会社・学校に「毎日」行かなければならないのだろうか?
 全て在宅は不可能だとしても「週2日は自宅・外部から必要に応じてネットワークに接続」というレベルまでなら容易に達成できるのではないだろうか?
 はやりのIpadでも「端末として外部から利用する事により、どこからでも業務に活用できる」という謳い文句があったのではなかったのか?

 そもそも、今回の地震に限らず「出勤地獄」というのは、おかしな話じゃないのだろうか?
 なぜ「わざわざ会社に行く」事が必要だったのだろうか?
 経営者・労働者双方ともに、ただ「出勤する事が会社にとっての常識」として考えてこなかっただけではないのか?

 その結果が、今の混乱した状況なのだと私は考えている。

 今こそ、今回の地震を契機として、テレワークやモバイル業務を推進する事を本気で導入していく事が、企業再生・日本再生の道として必要なのだと考える。
 そして、ここで日本が新たな在宅活動の「社会システム」を構築しこの地震から復興できれば、最先端の情報ネットワークとそれに連なる社会構造を持つ国家として、世界における最先端の地位、技術立国日本を取り戻せるのではないかとすら私は考えている。

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参考:厚生労働省「テレワーク相談センター」
経済産業省:「テレワーク」で検索の結果


……しかし、春闘の話題を見ても賃金とか労働時間の問題だけで終始しているな、相変わらず。ここで労使ともに「労働環境・労働形態」そのものの問題を考えないのは、思考が硬直化しているとしか思えない。
 それでも会社に行きたいのか? 

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 ……ちなみに偉そうに言っているが、私の場合「出勤地獄がいや」という理由だけで、この資格を取ってフリーランスで10年活動しているというとんでもないタイプの行政書士だったりする。

 まあ実際、この仕事で必要なのは「情報・書類集め」「書類作りのため環境」と「相手・官公庁との打ち合わせ・申請」だけなので、SOHOどころか「自分とモバイル端末」さえあれば、仕事なんてどこでもできる。
 事務所自体「自室登録」だし電話も布団の前にある。

 ……寝ながら電話している時だって普通にあるんだよな、これが。

 今回も、自宅が断水地域になってしまったので、水汲みに歩いて行きながら「ハンズフリー」携帯で連絡という事を普通にやっていたりする。

 皆が「通勤大変だ」と言っても、全然、関係ない。

 顧客との書類もメール添付のPDFやWORDで送って「向うで印刷してもらっ確認。署名押印したのは、来週、落ち着いたら取りに行く」って事で大半が成立している。

 ……今週、一度も背広着てない。ホントに。


……明日は円高問題か買いだめの愚かさについて語りたいな。
後、今回の地震を機に「海外に販売した技術」があるし。
というか、絶対に「海外が欲しがる技術」を震災が証明しているし。

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 さて、今日の一曲。
 そろそろネタが尽きてきた。
 が、定番という事で1曲紹介。

藤山一郎 ラジオ体操の歌


誰もが聞いた事があって、だれもが元気の出る曲だと思う。

「人」より「物」を は無理なのか?2011年03月18日 08時09分01秒

秋田新幹線18日に一部再開 在来線区間の秋田-盛岡
産経新聞・読売新聞
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/497285/
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000157-yom-soci

【東日本大震災】
 JR東日本は17日、東日本大震災の影響で運休していた秋田新幹線について18日から盛岡~秋田間の在来線区間で運転を再開すると発表した。1日4往復を運転する。

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 今、新幹線で盛岡~秋田間を移動する「人」はどれくらいいるのだろうか?
 そもそも、その人達の移動は「必要な移動」なのだろうか?

 はっきり言って、今、一番重要なのは「物資の移動」のはず。
 確かに座席しかなく貨物輸送には向かないかもしれないが、いっその事、最終便くらいは全席に「ダンボール」詰込をして、臨時の物資輸送便にしてもいいのではないかと思う。

 または「乗客には1人1つダンボール荷物を持って行く事」と協力を仰いで、乗客に運ばせるとか。

 とりあえず微々たる量かもしれないが、1人1ケースずつ水を運んだり毛布を2枚ずつ運ばせるなどすれば、300ケース程度・毛布は一度に600枚は軽く運べるし、その他空いているスペースに持ち込めば、1度当たり4tトラック2台分ぐらい、1日4往復の状況であれば計8台分くらいは秋田から盛岡へ持ち込ませる事ができると思う。

 また、大きい荷物が駄目なら医薬品関係など小さくそれでいて多種多様な物などでもいい。
 秋田>盛岡 は「納入する物資」、盛岡>秋田 は「脱出する人員」用に割り当てるという手もあると思うのだが。

 ちょっとした思い付きで笑われるかもしれないが、少なくとも『「秋田~盛岡」間の輸送ラインが一本確保できた』という事実に対し、単純に「新幹線が復旧してよかった」程度で考えるのではなく、もう少し有効的な利用方法を考えた方がよいのではないだろうかと思う。

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救援物資を無料で輸送 JR貨物など
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/497307/
産経新聞
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